『NINAGAWA十二夜』を彩る12のキーワード~より深く愉しむために~

このページでは皆様に『NINAGAWA十二夜』をより楽しくご覧頂くための12の歌舞伎のキーワードをご紹介していきます。
毎月更新していきますのでご期待下さい!

本文・清水まり      

キーワード12 「身体表現」
獅子丸 / 尾上菊之助
獅子丸 / 尾上菊之助
 最終回となる今回はロンドンで見聞きした出来事を中心にお届けしたいと思います。キーワードは「身体表現」。人から人へと芸が受け継がれてきた歌舞伎という演劇にとって非常に大切な要素であるこの言葉が、尾上菊之助さん自身の口から発せられたのはロンドンの現地マスコミを交えての取材現場でのことでした。

 それは第二幕の舞台稽古をマスコミ公開した後に開かれた会見でのこと。第二幕はこの12のキーワードの「舞踊」の項目でも触れたように、獅子丸(=シザーリオ)が大篠左大臣(=オーシーノ公爵)に踊りを披露する場面から始まります。この踊りは再演時に菊之助さんが、同世代の舞踊家である尾上青楓さんに振りを依頼して新たにつくりなおしたものだったのですが、それがまたさらに新しいものになっていたのです。その意図を尋ねると、菊之助さんからは次のような言葉が返ってきました。

「以前は大篠左大臣と織笛姫(=オリヴィア)の間に挟まれて思いが遂げられない女性の踊りでした。ですがシェイクスピアの国で上演するに当たって原作をもう一度読み直してみたところ、もっと積極的に自分をアピールしている女性のように感じたんです」。
 そして「恋に焦がれるというより、自分の魅力に気がついて欲しいと願う女性に発想の転換」をしたのだそうです。ですが、演出の蜷川幸雄さんが納得する踊りに至るまでには少々時間がかかったようでした。

 「言葉や国境を越えるには、悲しみや喜びといった普遍的なものを身体を通してお客様に伝えなければなりません。その普遍的なものをもっと身体で表現する工夫をして欲しい、ということで」。
 そして青楓さんと一緒に悩みながらようやく出来上がったのが、ロンドン・バージョンなのです。菊之助さんの思いは果たしてロンドンの観客に届くのか、緊張の中で初日の幕が開きました。

獅子丸 / 尾上菊之助
獅子丸 / 尾上菊之助
 その答えは「タイムズ」紙の劇評にありました。執筆者であるドナルド・フテラ氏は作品全体を「知的で、かつ非常に洗練されたコメディに仕上がった」と評した後、女方がいかにこの作品にふさわしいかに触れ、さらに次のように記しています。
「歌舞伎は、幻想、幻惑、混乱という吟遊詩人のテーマを表現するに最適な演劇形態であり、また優れた演技の技巧と、辛らつさを兼ね備えたものである。その特徴は、第二幕冒頭で歌舞伎界の御曹司・五代目尾上菊之助が演じる舞で結晶化された。ヴァイオラとセバスチャンの二役を演じる彼は、男性に扮する女性を演じながら、その女性心理を見事に表現している」。

 菊之助さんにとって、歌舞伎における身体表現そのものをもう一度見つめ直すきっかけになったともいえるロンドン公演。2009年3月24日から28日まで全5公演すべてのチケットはソールド・アウト、盛況の様子は各メディアを通じて報道されました。
シェイクスピアの原作をもとに日本で誕生した『NINAGAWA十二夜』はロンドンでさらに内容を充実させ、日本に帰ってきました。そして6、7月に行われる新橋演舞場と大阪松竹座での凱旋公演に向けてまた新たな一歩を踏みだそうとしています。
キーワード11 「長唄、黒御簾音楽とチェンバロ」
この中で黒御簾音楽が演奏されています
この中で黒御簾音楽が演奏されています
黒御簾音楽が演奏されている「黒御簾」の内側
黒御簾音楽が演奏されている「黒御簾」の内側
 キーワードの9番目では歌舞伎の「舞」について触れましたが、今回は「歌」の部分です。
 歌舞伎はしばしばミュージカルに例えられますが、このことからわかるように音楽もまた歌舞伎を彩る重要な要素です。
 劇中の舞踊である獅子丸(=シザーリオ)の舞が始まると、背後の襖が左右に開き雛壇に並んだ演奏者が現れます。舞踊の伴奏音楽としてここで演奏されるのは「長唄」という三味線音楽です。唄と三味線、鳴物による構成で、鳴物には笛、小鼓、大鼓、太鼓があります。
 また舞台向かって左側に設置された小部屋にはさまざまな楽器が用意され、時に唄を伴ったBGMが演奏されます。自然現象を太鼓の音で表現したり、場面の雰囲気に合わせてさまざまな曲を演奏したり、劇中の効果音を一手に担っているのが黒御簾音楽です。
 演奏する部屋には御簾のかかった小窓があり、演奏者は御簾越しに舞台の様子を確認できるようになっています。歌舞伎では効果音もまたライブ演奏なのです。
『NINAGAWA十二夜』では古くから歌舞伎で用いられてきた伝統的な楽器の他に、シェイクスピアが生きた時代のヨーロッパで盛んに演奏されるようになったチェンバロが取り入れられています。和と洋の融合はこの作品ならではの味わいですが、音楽においてもそれは存分に発揮され、物語を効果的に盛り上げて観客を情感豊かな劇的空間へといざなってくれます。
キーワード10 「回り舞台と花道」
舟長 / 市川段四郎 主膳之助 / 尾上菊之助
舟長 / 市川段四郎 主膳之助 / 尾上菊之助
斯波主膳之助 / 尾上菊之助
斯波主膳之助 / 尾上菊之助
 
 獅子丸(=シザーリオ)という名で大篠左大臣(オーシーノ公爵)の小姓となった琵琶姫(=ヴァイオラ)は、左大臣から織笛姫(=オリヴィア)への恋の使者を命じられます。物語は織笛姫邸と左大臣館との様子を交互に見せながら進展してくのですが、その場面転換で大きな役割を担っているのが回り舞台です。
 回り舞台を使っての場面転換は、平行して別の場所で起こっている出来事を観客に実感させてくれる効果に加え、時間の節約という利点もあります。また双子の兄妹を乗せた船が嵐に遭遇する場面では、舟そのものの動きに加えて回り舞台が効果的に使われています。現在ではとりたてて珍しい舞台機構ではありませんが、現在のような回り舞台が歌舞伎に登場したのは非常に早く18世紀の中頃のことでした。
 そして歌舞伎の舞台で最も特徴的なのは花道の存在です。花道とは舞台に向かって左側から客席後方延長された細長い部分のことで、登場人物の登退場を印象づける時などに効果を発揮します。
 ただ、当然のことながら英国の劇場であるバービカンシアターには花道がありません。ですが、どんな状況であれ工夫を凝らし柔軟に対応してしまうのも、歌舞伎のすごいところなのです。そして凱旋公演が行われる新橋演舞場と大阪松竹座は花道を有する劇場。両方を見比べてそれぞれの違いを体験してみてはいかがでしょうか。
キーワード9 「舞踊」
「大篠左大臣館大広間の場」
「大篠左大臣館大広間の場」
獅子丸 / 尾上菊之助  久利男 / 尾上松也  幡太 / 坂東秀調  大篠左大臣 / 中村錦之助
 歌舞伎を彩る重要な要素であるのが、歌舞伎という3文字も示している「舞」の部分です。『NINAGAWA十二夜』では、獅子丸(=シザーリオ)を名のっている琵琶姫(ヴァイオラ)が、大篠左大臣(=オーシーノ公爵)に舞を披露する場面があります。織笛姫(=オリヴィア)への届かぬ恋にうち沈む大篠左大臣を慰めるための舞なのですが、大篠左大臣に思いを寄せる琵琶姫もまた恋に思い悩むひとり。大篠左大臣の前では獅子丸という名の男性としてふるまわなければならない琵琶姫ですが、踊り手としての表現であればそれは自由です。
 「実にままならぬ恋の道……」という歌詞で始まる舞は男女の恋模様を綴った内容で、琵琶姫は獅子丸として毛槍を手に舞い始めます。「好いた殿御の誓紙さえ……」という歌詞に続く部分では曲調がゆるやかになり、琵琶姫の切ない心を代弁するかのような女性らしいしっとりとした展開に。それを菊之助さんが艶やかに見せ、再び曲が華やかにテンポアップすると扇を手に舞納めます。
 観客は、“尾上菊之助という俳優が演じる琵琶姫が獅子丸として”踊る舞踊を鑑賞しながら、その舞を通して登場人物の揺れ動く思いを感じ、物語を楽しむことになります。劇中での舞ですから短い時間ではありますが、作品に華やかな彩りを添え、物語の味わいを深くする大切な場面です。

(キーワード12「身体表現」もあわせてご参照ください)
キーワード8 「柝とツケ」
「元の織笛姫長局の場」
「元の織笛姫長局の場」
(左端)左大弁洞院鐘道 / 市川左團次  (右から二人目)丸尾坊太夫 / 尾上菊五郎
 開幕直前、ざわつく客席に響く「チョン!」という音。その音はもうひとつ、さらにもうひとつという具合に連続し、音と音との間隔は次第に短くなっていきます。その間合いに合わせるように舞台と客席を隔てていた三色の定式幕が、最初はゆっくりと次第にスピードを増しながら開いていくと……。舞台上に広がるのは思いがけない光景。
『NINAGAWA十二夜』は幕開きから見逃せない演出となっていますが、ここで芝居の始まりを告げる役割を果たしているのが、二本の拍子木を打ち合わせる柝の音です。歌舞伎の舞台に欠かせないこの柝の音は、冒頭の場合とは逆に閉幕を告げたり、場面の転換時や人の動作に合わせてアクセントをつけたり、さまざまなシチュエーションで耳にすることができます。
 一方、二本の拍子木を四角い板に打ち付けて音を出すのはツケ。たとえば斯波主膳之助(=セバスチャン)と琵琶姫(=ヴァイオラ)を乗せた船が激しい嵐に見舞われる場面。立っているのもままならない大混乱の船上の様子を「バタバタバタ……」というツケの音が効果的に盛り上げます。また丸尾坊太夫(=マルヴォーリオ)が左大弁洞院鐘道(=サー・トービー・ベルチ)らにさんざんに打たれる場面ではもう少し軽い音のツケが入ります。
 そして「紀州灘沖合の場」の幕切れ、琵琶姫が柝の音を合図に美しくポーズを決めると、役者の動作と一体となったツケの音が響き渡り、舞台を効果的に盛り上げます。
 このように柝とツケは歌舞伎には欠かすことのできない重要な効果音なのです。

予告編再生
十二夜の予告編でも、ツケの音を聞くことができます。
キーワード7 「屋号と大向う」
 芝居が盛り上がったところでいいタイミングで、客席から「おとわや!」などいった声がかかる。歌舞伎を上演中の劇場ではしばしばこんな体験をします。声をかけているのは、大向うさんと通称される熟練の歌舞伎ファンの皆さんです。大向うとは客席最上階の後方の席のことで、料金も安いため何度も芝居を楽しみたいコアな歌舞伎ファンにはお馴染みの場所です。
 「ご両人!」「たっぷり!」など場面によってかかる声はさまざまですが、一般的なのが「屋号」。歌舞伎俳優はそれぞれ名前とは別に「屋号」を持っていて、前出の「おとわや」もそのひとつです。『NINAGAWA十二夜』に出演する主な俳優の屋号を、以下にアイウエオ順に列記してみましょう。

キーワード6 「衣裳と鬘」
『本朝廿四孝 十種香』 「武田勝頼」 尾上菊之助
 『本朝廿四孝 十種香』 武田勝頼 / 尾上菊之助
「琵琶姫」 尾上菊之助
斯波主膳之助 / 尾上菊之助
 今回、注目したいのは斯波主膳之助(セバスチャン)の扮装です。実はこの衣裳と鬘は有名な古典作品『本朝廿四孝』の「十種香の場」に登場する武田勝頼に則ったもの。そして初演時の役づくりにおいて、菊之助さんはこの優美な扮装に「たいへん助けられた」と話しています。
 シェイクスピア作品の中で400年も前から存在する人物を歌舞伎としてどう演じたらいいか、それは理屈で解決がつくような問題ではありません。案の定、菊之助さんは「稽古に入って実際にやり始めてみると、心はつながっているけれど歌舞伎にならない」という事態に直面することになりました。いろんな場面で「こういう時、歌舞伎ではどうやっているんだろうと」という疑問が生じて「すぐに条件反射できない」でいたのだそうです。その状況を打破してくれたのが勝頼に準じた衣裳だったのです。
 「この衣裳を着たらスッとできてしまった部分があったんです。衣裳や鬘の持っている力というものを改めて思い知らされました」。
 「十種香」の勝頼は花作りの簑作と素性を偽って登場します。そして主膳之助は嵐で遭難したところを助けてくれた海斗鳰兵衛(アントーニオ)に五郎太と名のります。身分を偽っても身についた気品が高貴な素性を物語ってしまうこのふたり、人物の有り様がどこか似ているではありませんか。
 こうして主膳之助は、菊之助さんが幼い頃から見聞きしてきた勝頼と根底でつながり、伝統に培われた演技のスキルによって歌舞伎の登場人物として生命を宿しました。2008年10月、菊之助さんは「十種香」の勝頼を初役で演じたばかりです。その経験が主膳之助という人物にどのような影響を及ぼすのか、ロンドン公演への期待は高まります。

キーワード5 「赤姫」

織笛姫 / 中村時蔵
左「獅子丸」尾上菊之助 右「織笛姫」中村時蔵
(左)獅子丸 / 尾上菊之助 (右)織笛姫 / 中村時蔵
  これは初演時(2005年)の稽古の段階でのお話。シェイクスピアの『十二夜』を蜷川幸雄さんが演出し歌舞伎として上演するということはわかっているものの、それがどんな舞台になるのか、また自分はどのように役を演じたらいいのか、稽古場の役者さんは皆さんそれぞれに戸惑っている様子でした。
  そんな中、織笛姫(オリヴィア)を演じる中村時蔵さんは、演出家の蜷川幸雄さんから「赤姫でお願いします」という言葉をいただいたのだそうです。赤姫とは歌舞伎に登場するお姫様役のことで、ほとんどのお姫様が赤い衣裳を着ていることからつけられた通称です。その代表が“三姫”と称される『本朝廿四孝』の八重垣姫、『金閣寺』の雪姫、『鎌倉三代記』の時姫で、彼女たちは美しさに優雅な気品を備えた女性で恋に対してはとても情熱的です。
 時蔵さんは演出家のこのひとことで瞬時に方向性を見出し、作品の中でご自身が果たすべき役割を理解されたようでした。こうして新たな作品で誕生した役は、歌舞伎の古典作品の役を通して実像を結びました。『NINAGAWA十二夜』を根本で支えているのは、歌舞伎という伝統の世界で時代を超えて受け継がれ磨かれてきた芸そのものなのです。
キーワード4 「振りかぶせ、振り落とし」
「紀州灘沖合の場」
  「紀伊国加田の浜辺の場」
「紀州灘沖合の場」 激しい嵐にみまわれ船は難破寸前   振りかぶせ、振り落としの後に現れる「紀伊国加田の浜辺の場」
浜辺に流れ着いた(左)磯右衛門 / 市川段四郎と(右)琵琶姫 / 尾上菊之助

  海上で嵐に遭遇した双子の兄妹。斯波主膳之助(シザーリオ)は荒れ狂う波にさらわれ、琵琶姫(ヴァイオラ)は船に残されます。琵琶姫は舟長の磯右衛門と共に、紀伊国加太の浜辺へと流れ着くのですが、「紀州灘沖合の場」から「紀伊国加田の浜辺の場」への場面転換で歌舞伎独特の手法を見ることができます。
  琵琶姫を乗せた難破寸前の船の前に波が描かれた幕が振りかぶせられ、一瞬にしてそれまでの場面を覆い隠します。一枚の布が舞台と客席を隔て、船は荒れ狂う波を象徴する幕の向こうへ失せてしまうのです。
 そしてまもなく、この幕はまたもや一瞬にして振り落とされます。するとそこは紀伊国加田の浜辺。振り落とされた幕は、幕の裏側で下に控えている複数の人々が頭からすっぽり被るような形で受け止め、そのまま舞台袖へと引っ込みます。その手際の鮮やかなことといったら……。そして現れるのは浜辺へ流れ着いた琵琶姫と磯右衛門のふたりです。
  ここで使用される幕は道具幕といわれるもので、場面転換に使われた手法はそれぞれ「振りかぶせ」「振り落とし」と呼ばれています。
キーワード3 「浪布」
浪布
「紀州灘沖合の場」での浪布
 斯波主膳之助(=シザーリオ)と琵琶姫(=ヴァイオラ)を乗せた船が嵐に遭遇し、兄妹が離れ離れとなる「紀州灘沖合の場」。船から落ちた主膳之助を容赦なく波が飲み込んでいきます。この波を表現する時に用いられるのが「浪布」です。
 文字通り浪が描かれた大きな浪布の下には何人もの人がいて、その人が動くことによって浪も移動し、動きの激しさによってそのうねりも大きくなるのです。このいたってシンプルな仕掛けが、ダイナミックな嵐の場面を創り出してしまうのですから驚きです。
 歌舞伎で古くから行われている浪布を使った演出は2007年の再演時に新たに取り入れらました。これによって歌舞伎独特の大胆な見どころが加味されたのです。
 初演を経て『NINAGAWA十二夜』を彩る歌舞伎テイストはさまざまな点で初演時より色濃くなっていますが、この場面もそのひとつといえます。
キーワード2 「早替り」
「斯波主善之助」 尾上菊之助
斯波主善之助 / 尾上菊之助
「琵琶姫」 尾上菊之助
琵琶姫 / 尾上菊之助
「捨助」 尾上菊五郎
捨助 / 尾上菊五郎
「丸尾坊太夫」 尾上菊五郎
丸尾坊太夫 / 尾上菊五郎
 一人の人間が二役を「早替り」で演じる手法は歌舞伎に古くからあり、『NINAGAWA十二夜』では尾上菊五郎さんが捨助(=フェステ)と丸尾坊太夫(=マルヴォーリオ)を、尾上菊之助さんが斯波主膳之助(=シザーリオ)と琵琶姫(=ヴァイオラ)を演じています。
 捨助として現れた菊五郎さんは、市川亀治郎さん演じる麻阿(=マライア)と軽妙なやりとりを見せた後に引っ込んだかと思うと、まもなく丸尾坊太夫として舞台に姿を現します。さっきまでとはまったく違う扮装、そして軽やかな捨助とは正反対の尊大な人物です。
 主膳之助と琵琶姫を乗せた船が海上を進む場面で、菊之助さんは凛々しい若者から可憐な女性へと替わります。それはまだ幕開きの興奮冷めやらぬ中でのあっという間の出来事。性別をも超える変化に観客からは驚嘆の声が上がります。
 早替りは単なるビジュアルの変化ではなく、演じている役柄そのものの変化です。まったく別の人物としてそこに存在しなければならないのですから、内面からの演じわけが必要となります。そしてそこで発揮されるのが歌舞伎俳優としてのスキルとなるわけです。
 ロンドン公演の記者会見の席で演出の蜷川幸雄さんは、「現代の英国演劇では薄れてしまったシェイクスピアの時代の大胆さ」と、この早替りを含めた歌舞伎の様式的演技の共通点について触れていました。こんなところにも歌舞伎とシェイクスピアとを結ぶキーワードは存在しています。

キーワード1 「女方(おんながた)」
「琵琶姫」 尾上菊之助
琵琶姫 / 尾上菊之助
「麻阿」 市川亀治郎
麻阿 / 市川亀治郎
 セバスチャンとヴァイオラ、『NINAGAWA十二夜』では斯波主膳之助と琵琶姫という役名で登場する双子の兄妹を演じて来たのは尾上菊之助さん。男性の俳優によって構成される歌舞伎では男性の役を演じる俳優を立役、女性の役を演じる俳優を女方といいます。そして菊之助さんは立役としても女方としても活躍している注目の若手花形で、劇中では獅子丸(=シザーリオ)を名のって男装する琵琶姫としても登場します。  高貴な生まれにふさわしく凛々しい主膳之助と、男性を装っていながらも女性の本音をのぞかせ大篠左大臣(=オーシーノ公爵)に恋する愛らしい琵琶姫。男性と女性と男装した女性という3つのスタンスを自由に行き来する菊之助さんは、再演の折に琵琶姫と獅子丸の変化について「以前はポイントを決めてふっと変わっていたのですが、スイッチではなくボリュームのツマミを回すような感じになりました」と語っています。菊之助さん自身の中でもよりナチュラルに存在するようになったという琵琶姫と獅子丸、そして別人格の主膳之助。その演じわけはこの作品の大きな見どころです。
 シェイクスピアが活躍した時代の英国で、女性の役を演じていたのは少年俳優。男性である菊之助さんが女方として琵琶姫を演じるのは、歌舞伎にとってもシェイクスピア劇にとっても極めて自然なことなのです。400年の時を超えて融合した歌舞伎とシェイクスピア、女方という存在が『十二夜』という作品の特性にどれだけフィットしているかは、実際に舞台を観れば一目瞭然です。