聞き手:長谷部浩(演劇評論家)
─ なぜシェイクスピアの『十二夜』を歌舞伎化したのですか。
歌舞伎には、女方の伝統があり、女性の役を男性が演じる技芸が400年の歳月の積み重ねによって成熟し、現在も毎月、複数の劇場で上演されています。
また、ひとつの作品のなかで、ひとりの俳優が、性格の異なる二つ、あるいは三つ以上の役を早変わりする演出も一般的です。
私は、現在、女方を中心に舞台を勤めていますが、近年、男性の役を演じる機会も増えています。
この歌舞伎の特質を生かして、私が、シェイクスピアを演じるとすれば、どの作品が適切かを考えました。
『ハムレット』のハムレット役や『ロミオとジュリエット』のジュリエ ット役も候補にあがりましたが、それでは、私が、男性か、女性か、どちらかの役を演じることになります。もちろん、それはそれで、やりがいのある役なのですが。
しかし、『十二夜』であれば、ヴァイオラ、シザーリオ、セバスチャンの三役、男性と女性、しかもよく似ているはずの兄妹と、妹が変装した男性を、工夫すれば、ひとりで演じることができます。
シェイクスピアの原作を尊重しつつ、歌舞伎のおもしろさを引き出すためには、『十二夜』がもっとも適切なのではないかと思い、2003年にプロジェクトを立ち上げ、2005年に東京の歌舞伎座で初演の運びとなりました。
─ 歌舞伎の古典の上演には、演出家を置く習慣がありません。主役を演じる俳優が、全体を統括していくのが通例ですが、父の菊五郎さんと相談した上、なぜ、今回は蜷川幸雄さんに演出を依頼したのですか?
歌舞伎は、この400年の間、その時代、時代に生まれた作品を、俳優たちが工夫を重ね、洗練させることで、日本の代表的な伝統演劇として発展してきました。観客の評価を得た新作が、ふるいにかけられ古典として残ってきた歴史があります。
私のような若手俳優にとっては、古典の継承がまず、もっとも重要な修業として求められる世界です。伝統を大事に思い、代々の名優が洗い上げてきた型を受け継いでいくことは何より大事なことです。
ですが、一方で、古典に対する知識がなくても楽しめる新作を作り上げ、次の時代の古典を準備する仕事もまた、歌舞伎が未来に向けて発展していくために必要なことです。
初演の『NINAGAWA 十二夜』は、これまでの歌舞伎愛好家以外の広い観客に観ていただき、楽しんででいただけた。
特別に蜷川幸雄先生に演出をお願いしたのは、シェイクスピアに造詣が深く、しかも、歌舞伎のスペクタクルとしての魅力を引き出してくださると思ったからです
。
初演の成功は、蜷川先生のすぐれた演出があってのことと感謝しています。稽古場では、父菊五郎も、座頭として歌舞伎俳優の視点から、さまざまなアイデアを提供していました。
この年の演劇賞を数多く受賞したのは、望外のことでした。
─ シェイクスピアの原作とは、どのような点が異なっているのでしょう。
シェイクスピアは世界の財産というべき、偉大な劇作家です。世界中で、さまざまな演出家が独自の解釈をほどこして、新たな舞台が創り出されています。1980年に東京で初演され、85年に英国のエジンバラ、87年にロンドンで上演された『NINAGAWA マクベス』もその成果のひとつだと思います。
蜷川先生は、こればかりではなく『テンペスト』『ハムレット』『リア王』『ペリクリーズ』『タイタス・アンドロニカス』のようなシェイクスピア作品を、独自の解釈、日本のスタッフ・キャストで、英国の観客に提供し、高い評価を受けてきました。なかでも『ペリクリーズ』は、歌舞伎の演出手法を大胆に取り入れた作品だと、私は興味深く舞台を拝見しました。
『NINAGAWA 十二夜』のプロジェクトを立ち上がるにあたって、私がこだわったのは、あくまで歌舞伎であろうとしたことでした。
シェイクスピアの原文をそのままに飜訳して、独自の演出を加えて上演する試みは、これまでも数多くなされています。それはそれでとても重要な仕事だと思いますが、今回、より歌舞伎独自の演出や演技術が生きるような作品でありたいと思いました。
そのために、歌舞伎の様式にそった新たな上演台本を作りました。現代の日本語ではなく、擬古典の様式で書かれたやや古めかしい日本語で書かれた台本です。
蜷川先生にとって、今回の『NINAGAWA 十二夜』が、日本の演出家として、文化的な原点とされてきた歌舞伎を、私たち歌舞伎俳優とともに、上演する機会となったことを、うれしく思っています。
─ 1996年に、トレヴァー・ナンが監督・脚本をした映画の『十二夜』でも、遭難の場面を新たに作り出していますが、『NINAGAWA 十二夜』にも冒頭にセバスチァンとヴァイオラが、船で遭難する場面を付け加えています。こうした原作によらない場面を付け加えたのは、なぜですか。
まず、歌舞伎の大道具を駆使したスペクタクルを強調したいと考えたからです。また、この場面で私は、セバスチャンとヴァイオラを早変わりで見せています。男性と女性の役を一瞬のうちに演じ分ける演技スタイルを、歌舞伎についての知識がないお客さまにも、冒頭からご理解いただきたいと思ったからです。
シェイクスピアの原作は、もちろん大事に思っています。すぐれた劇作は、後世の世代も、最大限の尊敬を払わなければなりません。
それは、私が、二代目竹田出雲・三好松洛・並木千柳の合作であったり、近松門左衛門や河竹黙阿弥が作り出した歌舞伎の古典を大事に思うのと、まったく変わりありません。
けれども、映画や歌舞伎のように、シェイクスピアの原作が別のメディアに移し替えられるとき、そのメディアの特質にあった様式に対応して、大胆に改変に踏み込むのは、古典を現代的な表現として再解釈するときに、必要な戦略だと思っています。
─ こうした早変わりは、セバスチャンとヴァイオラだけで行われるわけではありませんね。異例なことにマルヴォーリオとフェステの二役でも、菊五郎さんが二役を演じています。
はい、蜷川先生の強いご要望があって、マルヴォーリオとフェステの二役を、父の尾上菊五郎が演じています。『十二夜』には、マルヴォーリオを主要な役者が演じてきた上演史があると聞いています。今回のキャストのなかで、マルヴォーリオを父が演じるのは、だれも疑問のないところでした。
また、蜷川先生がおっしゃるには、『リア王』にしても『十二夜』にしても、シェイクスピアにとって道化はとても大切な役柄なので、これも菊五郎が演じてみてはどうかという提案がございました。歌舞伎には、このような知的な道化が登場する作品がありませんので、フェステを演じるのは、マルヴォーリオを演じるのと同じくらいむずかしいことです。
それならば、二役、三役を兼ねる変身のおもしろさを魅力の源泉とする歌舞伎の伝統を考えると、一座でもっともすぐれた俳優が、この二役を演じるのが妥当だという判断がありました。
おそらく『十二夜』の上演史でも、この二役を同じ俳優が演じるのは、きわめてめずらしいことではないでしょうか。
シェイクスピアの戯曲では、このふたりが同時に登場する場面がありますから、今回の上演台本では、この点についても、変更が行われています。この変更が、歌舞伎の特質を生かすために行われたのをご承知の上で、フェステとマルヴォーリオをひとりの俳優が演じ分けるおもしろさを味わっていただければうれしく思います。
─ なぜ、ロンドンで上演したいと思われたのでしょうか。
2004年のことです。私は、パリのシャイヨー宮劇場で、歌舞伎の「鳥辺山心中」に出演していました。その海外公演中に、蜷川先生に、この『NINAGAWA 十二夜』を演出していただきたいとの交渉を、携帯電話でしていたことを懐かしく思い出します。
ロンドンもパリも東京も、時差を考えさえすれば、すぐさま連絡がつくような時代に、私たちは生きているのですね。
その当時から、シェイクスピアの原作で歌舞伎化するのであれば、演劇を愛し、知的な好奇心を劇場の仕事に傾けているロンドンの厳しい観客に、評価を仰いでみたいという夢が頭の隅にありました。
歌舞伎の海外公演の歴史は、1928年にはじまっており、初めてのロンドン公演は、1972年に行われています。近年では、2006年には私と同世代の市川海老蔵さん、市川亀治郎さんの公演がありました。いずれも、歌舞伎では古典とされる作品の上演でした。
私が古典に敬意を払っているのは、すでに申し上げたとおりです。今回の公演は、シェイクスピアという偉大な劇作家の戯曲を元にしているとはいえ、2005年に新しく作られた歌舞伎をご覧になっていただく機会があってもよいのではないか。歌舞伎にも新しい波が訪れていることを、ご理解いただければうれしく思っています。
ロンドンには、数多くの歌舞伎愛好家がいらっしゃると聞いています。海外公演でご覧になったかたもいらっしゃるでしょうし、また、日本に観光や出張でいらした折りにご覧になって、日本にはこんな独自の伝統演劇があるのかと認めて下さったかたもいらっしゃるでしょう。
今回の公演を、これまで歌舞伎を愛して下さったそんなロンドンの観客のみなさんに、ご覧になっていただきたいのは、もちろんです。
また、それに加えてシェイクスピアをこれまでずっと愛してきた観客のみなさんにとって、歌舞伎化されたシェイクスピアが、どのように受け止められるのかを考えると、一俳優としても、こんな興奮を覚えることは、なかなか、ありません。
蜷川先生がこれまでロンドンの地で演出してきた作品は、おそらくシェイクスピアに独自な解釈をほどこした新たなクリエイションとして評価を受けてきたのでしょう。
そのような舞台を観てくださったロンドンの観客のみなさんは、シェイクスピアが、今も、この現代に生きていることをよろこんでくださっていると信じています。また、未来にも、さまざまな冒険が試される上演が行われるのを楽しみにしていらっしゃることでしょう。
今回の『NINAGAWA 十二夜』をご覧いただき、シェイクスピアが、世界の伝統演劇と結びついたときに、こんな上演の可能性もあるのだと楽しんでいただければと思います。
今、私は、ロンドンでの上演を、今か今かと、楽しみにしています。
上演に先立ち、三月の上旬に東京の英国大使館で、大使のご臨席のもとに、歌舞伎の歴史の概略と今回、『NINAGAWA 十二夜』を上演するに当たっての経緯についての短いレクチャーを準備しています。
私の希望としては、バービカン劇場での上演に先立ち、劇場でのプレトークというかたちで、ロンドンの観客のみなさんと直接お目にかかり、お話出来るのを楽しみにしています。