虚無僧 その1

こむそう その1

 『仮名手本忠臣蔵・九段目山科閑居の場』では、大星由良之助のわび住まいの門口へふらりと現れた人物がいきなり尺八を吹き始めます。

 実はこの男、妻の戸無瀬、娘の小浪を追ってやってきた加古川本蔵なのですが、肩まですっぽり入りそうな編笠に着流し、とても大名家の家老とは思えぬお忍びの姿。時代劇などでも時々見かける、この見るからに怪しい風体は≪虚無僧≫といわれる人々の姿です。

 虚無僧というのは普化宗(ふけしゅう)という禅宗の一派の修行僧です。この宗派は尺八を吹くことで悟りを得ることを目指し、武家の出でなければ入門できません。剃髪はせず天蓋(てんがい)という深編笠をかぶり、尺八を吹いて托鉢をすることになっています。

 俗に≪慶長掟書(けいちょうさだめがき)≫といわれる徳川家康が出したとされるお墨付きに、「宗門の者の帯刀を許す。同じく武者修行、敵討ちのための旅行を許す。天蓋は誰の前でもとらなくともよい。幕府からの不逞者などの探索の要請があった場合は協力する...」といった項目があり、還俗するのも比較的容易であったので、武士が身を隠す、敵討ちの旅に出るなどの際の格好の隠れ蓑となりました。

 明治以降、政府により虚無僧は有害無用のものとみなされ強制廃宗されています。

 「山科閑居の場」で、奥にいるお石が「ご無用」と声をかけるのは、戸浪が「虚無僧の尺八か、ただしまた、こう振り上げた刀の手の内か(お布施は出さないから虚無僧の尺八は無用だと言っているのか、または娘を斬ろうと振り上げた刀の手並みが無用、斬らずともよいと言っているのか)」と言っているように、どちらとも取れる状況となっています。

 また幕切れ、由良之助が本蔵の着ていた虚無僧の衣裳で旅立っていくのも、いかにもこれから仇を討ちにいこうとする人の装いとしてふさわしいものとなります。(み)

※1888年(明治21年)京都東福寺の塔頭、善慧院(ぜんけいいん)を虚無僧寺の本山明暗寺として普化宗の虚無僧行脚は復活を許された。

[虚無僧 その2]

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