

|
杵屋巳太郎(七代目) 代表部長 |
昭和12年生まれ。31年七代目杵屋巳太郎を襲名。歌舞伎の初舞台は40年 2月東宝劇場『鬼の少将夜長話』。46年1月菊五郎劇団音楽部に入る。 47年5月歌舞伎座『草摺引(くさずりびき)』で初めて立三味線を勤め、48年音 楽部幹部に昇進。平成元年部長就任。6年芸術祭優秀賞。11年伝統文化ポーラ賞。19年重要無形文化財保持者(人 間国宝)。活動は演奏だけにとどまらず、作曲も多く手掛ける。

繊細な音を出す三味線。
日本に伝えられた後、日本人の感性によって改良されました。

写真右側は和歌山富之さん
菊五郎音楽劇団音楽部の幹部。
2008年9月27日に「第1回歌舞伎美人サロン」が開催されました。
記念すべき初回のゲストは長唄三味線方の杵屋巳太郎さん。人間国宝で、菊五郎劇団音楽部部長でもある巳太郎さんから、長唄三味線や歌舞伎の演目についてなど、楽しいお話をうかがいました。
▼――
初めまして、杵屋巳太郎でございます。
今日は会場もこぢんまりとしていますから、三味線を弾いてくれる和歌山富之さんと一緒に、家族的な雰囲気のなかで、楽しいお話しをしていきたいと思っています。
繊細な音を聞き分けられる日本人
まずは三味線という楽器について。
三味線はインド・中国を経由して16世紀後半に日本に入ってきた外来の楽器です。当時日本には、雅楽や能楽で使われるような楽器はありましたが、庶民が自由に使える物はあまり多くはなかったようです。三味線はメロディーを奏でることができ、かつ誰でも触れることができたこともあって、その後50年程であっという間に全国に広まっていきました。
そうして広まっていった三味線ですが、日本人は皮を猫にしたり、材料の木を紫檀(したん)や紅木(こうき)に変えたりと、好みにあった良い音色がでるように、楽器に改良を加えていきました。日本人は、それだけ繊細な音を聞き分けることができたんですね。
同じ時期にキリスト教の音楽も入ってきたと思うのですが、日本人の気質にハーモニーは合わなかったのでしょうね。"繊細で単純なメロディーが良い"これは日本の音楽の美点だと思います。
西洋音楽は美しいハーモニーでできていますが、日本の音楽は逆で単一なメロディーです。ですから、唄も非常にデリケートで三味線の音と"つかず離れず"になりながら、ちょっと高めやちょっと低めを唄ったりします。それくらい繊細な音楽なんです。
さらに三味線は糸が伸びやすく、気候で皮が破れてしまうなど、非常に不安定な楽器です。しかも、糸は三本しかなくて押さえるポジションも非常にデリケート。その楽器を使い自分たちで音を作っていく、だから三味線は非常に魅力的で、弾いていて楽しいんです。
三味線の音で表現する歌舞伎の情景
~ここで「佃の合方」の演奏が始まります。巳太郎さんが話す内容に合わせ、富之さんの三味線が変化し、その情景を表していきます~
「佃の合方」は、非常に単純なフレーズの繰り返しですが、川の水の流れ、川に浮かぶ船の動き、あるいは川の近くでの人物の動きなどを、同じフレーズを繰り返しながら音の高さなどを変え、弾き分けていきます。これに水音という大太鼓をかぶせると、さらに音楽が立体的になります。例えば、隅田川の情景でも河口であれば大太鼓で波音を打ち込んで、海に近いということを表現していきます。
こういった場面は幕開きでよく使われます。幕開きで、この「佃の合方」が聞こえてきたら、川の場面だなということです。もちろん幕が開けば大道具でもわかるとは思いますが、それに音をかぶせることでさらに表現が広がるわけです。
実は幕が開く前から演奏していることもあります。例えば御殿の場面では、幕開きの前に「琴唄」という曲を演奏する場合があります。ところが、その歌詞は「逢う瀬嬉しき添い寝の枕」・・・随分
色っぽいでしょ。
これはお客様に聞かせるというよりも、むしろ舞台にいる俳優さんに聞かせる意味合いの方が強いんです。そうやっていると自然に並んでいる腰元の俳優さんたちもすっかり腰元の雰囲気になっていきます。幕が開く前から演奏しているので、お客様が耳にするのは、幕が開いた後に聞こえてくる、歌詞の最期の"枕"の
"ら"の音くらいかもしれませんね。これは、歌舞伎音楽の遊び、面白いでしょ。
|

