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森光子・勘三郎 『寝坊な豆腐屋』稽古場レポート

昭和37年の頃のについて―――

森―――
 東京オリンピックのときには、もう東京におりました。本当に日本が上向きだった気がしますね。

勘三郎―――
 僕は、昭和30年生まれなので7歳ですけど、その頃覚えているのは力道山ですね。それから、当時麹町に住んでたんですけれども、車が全然通らなかったですよね。それから紙芝居屋。それから、(車の)ミゼット!

森―――
 舞台に出ていて、高速を使っていたんですけど、ガラガラでしたね。高速から木を眺めたりして。

勘三郎―――
 今の豆腐屋さんってオートメーション化になっちゃってますでしょ。この間、湯布院へ行きまして、昭和の頃からの手作りの豆腐屋さんを見てきました。にがりを入れるところなんか、勉強になりました。ヘラも借りてきました。本物は違うもんですね。


寝坊な豆腐屋


母と息子を演じて―――

森―――
 勘三郎さんのお小さいときのお宅によく伺わせていただいて、その頃は“哲明さん”なんてお呼びしてました。小さい頃の勘三郎さんの姿も思い起こしたり…

勘三郎―――
 現代劇で、もう子供の役をするのは最後でしょうね。母親をする人も、もうそんなに(笑)。波乃久里子だっておかしいもんね、母親役じゃ(笑)。

森―――
 今回、ご兄弟役をお二人で、素敵ですね。

勘三郎―――
 やりにくいっちゃありゃしない(笑)。口から先に生まれた役って、ピッタリですね。いつもしゃべっていますから、家でも。


演出の栗山さんについて―――

森―――
 以前、『ゲットー』という芝居をみせていただいて、とても面白い作品で。それから、傾倒しまして、たびたび栗山作品に出させていただいています。演出される時は未だに怖いですが、普段はやさしい方です。


すれ違いから、憎まれ口をたたいたりしますね―――

森―――
 このお芝居一本で“ババァ”って50回位言うの(笑)

勘三郎―――
 それが難しくてね。「冗談じゃないよ」なんて、随分悪態をつくんです。それは役として言わなきゃいけないのは解かっているんですけど…稽古場では、ちょっとやりにくいですね。


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