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七之助、亀蔵が「したコメ」で語ったシネマ歌舞伎『大江戸りびんぐでっど』

七之助、亀蔵が「したコメ」で語ったシネマ歌舞伎『大江戸りびんぐでっど』

 左より、冨士滋美浅草観光連盟会長、片岡亀蔵、中村七之助、宮藤官九郎、いとうせいこう総合プロデューサー

 

 

 9月18日(日)、浅草公会堂で行われた「シネマ歌舞伎『大江戸りびんぐでっど』 in したコメ」で、上映後トークショーのゲストとして作・演出の宮藤官九郎と中村七之助、片岡亀蔵が、いとうせいこう総合プロデューサー、冨士滋美浅草観光連盟会長とともに登場しました。

 「第9回したまちコメディ映画祭 in 台東」(略称、したコメ)のプログラムの一つとして開催された、シネマ歌舞伎『大江戸りびんぐでっど』上映。歌舞伎座さよなら公演で上演されたこの作品は、宮藤が『決闘!高田馬場』(2006年3月パルコ劇場)を観劇中、十八世勘三郎に「この人に書いてもらう!」と宣言されたのが始まりだった――。「ゾンビの歌舞伎ってありますか」「(死体を踊らせる)『らくだ』はあるけど…」という宮藤と勘三郎の会話でテーマが決まったなど、新作歌舞伎誕生のリアルな再現模様から、トークは始まりました。

 

七之助、亀蔵が「したコメ」で語ったシネマ歌舞伎『大江戸りびんぐでっど』

ゾンビが歌舞伎になった衝撃

 『大江戸りびんぐでっど』は平成21(2009)年12月の歌舞伎座で、昼の部の4つ目の出し物として上演されました。夜の部には『野田版 鼠小僧』の再演もあり、広い稽古場に二つの道具を立て、時間を区切って出演者が行き来する稽古。「宮藤さんの演出は楽しかった。皆が生き生きしていた。皆が楽しく、そしてこの作品をいいものにしようと、同じ方向を向いていました」と、七之助が懐かしむと、「シネマ歌舞伎を観ても、役者一人ひとりが弾けるようにやっているのがよくわかります。本当に楽しそう」と、いとう氏もうなずきました。

 

 宮藤は上演から後の2、3カ月の記憶がないと言います。公演中は演出家としてほかの芝居と同じように出演者へのダメ出しに行ったけれど、「次の芝居に出ているから人がいない。それで歌舞伎座の楽屋を1階から3階まで上がったり下がったり。また、代役の人とわからずにその人の演技に演出をつけたり」と、いつもと勝手の違う歌舞伎の演出に戸惑ったこと、その後の記憶が飛ぶほど大変だったことも、今となっては笑い話にする余裕があります。

 

七之助、亀蔵が「したコメ」で語ったシネマ歌舞伎『大江戸りびんぐでっど』

 稽古初日、「ゾンビはこういう動きです、と実演したら、皆が引いてました。これは舞台でやってはいけませんね、映画で撮らないと。舞台でずっとゾンビの姿勢でいるのは、やはり無理がありますから」との亀蔵の発言からは、どれだけ亀蔵が本気だったかが伝わってきます。「悔しかったのは早拵え(はやごしらえ)ばかりで、メイクに凝れていないこと。ほぼ舞台に出ていたんです」と、心残りのほどをうかがわせましたが、スクリーンに映し出されたメイクは相当なものです。

 

 しかし、そのせいで心に傷を負ったと言うのは宮藤。「ゾンビが舞台に出ていくと、お年寄りのお客様もゆっくり劇場を出ていくんです。だいたいいつも同じところで」。「血のりが出るからでしょう」と七之助がフォローすると、亀蔵は「舞台を血のりで汚しちゃいけないと思ったけれど、これで(歌舞伎座の舞台とも)さよならだから…」。一つひとつのエピソードに作品の“特別感”が見えてきます。

 

七之助、亀蔵が「したコメ」で語ったシネマ歌舞伎『大江戸りびんぐでっど』

皆に愛された作品

 上演当時は歌舞伎とゾンビの組み合わせをはじめ、賛否両論を巻き起こした作品ですが、「僕はこの作品が大好きなので、ちょっと驕った言い方をしてしまうと、こっちが先に行ってるんじゃないか、もっとついてきてほしいと思っていました」と、七之助。勘三郎が家で映像を見ては、「やっぱりこれは面白いと、ずっと言っていましたから」とのエピソードも明かしました。

 

 宮藤は、「『天日坊』を勘三郎さんに褒めていただいたとき、これでリベンジできましたと言ったら叱られました。あれはあれで最高だと思っているんだから、そんなこと言うなと。うれしかったですね」。上演から7年、シネマ歌舞伎のゾンビ登場シーンで帰っていくお客様はいらっしゃいません。

 

すべてのシーンに思い出が

 そんな七之助と亀蔵もびっくりしたというのは、幕開きのくさやのシーン。台本を読んだ七之助は「くさやがしゃべるって映像が浮かばない。イルカってどういうこと?から始まりました」。「でも、歌舞伎には荒唐無稽の歴史があるから、皆さん理解してくれるのが早い。すっとわかってもらえました」と宮藤が言えば、亀蔵も「歌舞伎はもっとすごいことやってますし、イルカはいなくても入鹿はいますから」と、『妹背山婦女庭訓』の蘇我入鹿にひっかけて会場の笑いを誘いました。

 

 ラストシーンはシネマ歌舞伎によっていっそう効果が劇的になった一つです。「盆(廻り舞台)を回しながら道具の橋も回し、せりふを言うときにお客様から見て一番いい形を見せようとするので大変でした。すごく稽古しました」。夜の部の稽古が重なるからあまり出られないと言っていた勘三郎も、「出なくてもいいのに出ている」(宮藤)など、話は尽きることがありません。「この作品は勘三郎さんの歌舞伎に対する思いの表れ。ゾンビでいいから生き返ってほしいですね」と冨士会長がしみじみ語ると、「かまれてもいいですからね」と続けたいとう氏。スクリーンがさまざまな思いを呼び起こした上映会でした。

 

七之助、亀蔵が「したコメ」で語ったシネマ歌舞伎『大江戸りびんぐでっど』

2016/09/18