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雀右衛門が語る『男女道成寺』

雀右衛門が語る『男女道成寺』

 先代が生前大好きで、最後に食したという鰻の老舗「竹葉亭」にて

 

 

 3月3日(土)に初日を迎える歌舞伎座百三十年「三月大歌舞伎」で、四世中村雀右衛門七回忌追善狂言『男女道成寺(めおとどうじょうじ)』に出演する中村雀右衛門が、公演への思いを語りました。

 平成24(2012)年2月23日に91歳で亡くなった四世雀右衛門を偲び、五代目として名を受け継ぐ雀右衛門が、『男女道成寺』の白拍子花子を踊ります。「精いっぱい勤め、四代目はこうだったなとお客様に感じていただけるように、父の追善になるように頑張りたい」と、意気込みを語りました。

 

雀右衛門が語る『男女道成寺』

ゆかりの深い『道成寺』を親戚でもある松緑と

 共演は松緑。松緑の祖父である「二代目松緑の伯父は、私が生まれたときに大阪の病院に来てくださいまして、大きくなってからも大事にしてくださった思い出がございます。その伯父のお孫さんと踊れることがうれしい」。また、四世雀右衛門は昭和57(1982)年9月の全国公演で初世辰之助(三代目松緑)と『男女道成寺』を踊っており、「ご縁のある方とご縁のある狂言を勤めるのが、一番の追善になるのでは」と、思いを馳せました。

 

 『道成寺』の魅力は、「曲の素晴らしさと、女心の変化を表現した、芝居も踊りも含まれた大曲であること。歌舞伎俳優なら舞、踊り、芝居の三要素がないといけない、と二代目松緑の伯父は言っておりましたが、その三要素を十分に生かし切って踊らないといけないものだと思います」。『男女道成寺』でも、引き抜く前は二重の衣裳で、重くとも「きっちり踊る」、恋の手習いの部分は女方の重要な部分で「お客様に訴えるものを踊る」、そして鞨鼓の踊り、山づくしでは、「二人で息の合った、しかも切れのよいものをお見せする」と、見せ場が続きます。

 

四世が大切にし、稽古をしてくれた『道成寺』

 『京鹿子娘道成寺』をはじめ、『豊後』『現在』『二人』『男女』とさまざまな道成寺物を勤めた四世。「父は時間があるときに『道成寺』と『藤娘』を自宅で教えてくれました。形が違う、ここの間のとり方はこう、と細かく言ってくれましたが、今回、お稽古しながら父に言われた形を鏡に写してみると、なるほどなと、あらためて勉強させられている気がいたします。華やかに踊ったり、きっちり踊ったり、色っぽく踊ったりと、踊り方に変化をつけることを教えてくれました」。

 

 また、舞台が終わったら「(教わったことは)忘れるくらいのつもりでないといけない、と父は言っておりましたが、それは(いちいち思い出すのではなく)自然と女方の所作、せりふ回しが出てこなければいけないということでしょう」。そのために、一つひとつの舞台を積み重ねてきました。「不器用ながらもお役をさせていただくことで、身について確実なものになっていくのでは」と、努力と精進を惜しみません。

 

雀右衛門が語る『男女道成寺』

 『京鹿子娘道成寺』 中村雀右衛門(平成28年12月先斗町歌舞練場)

『道成寺』を踊る難しさと厳しさ

  自身の襲名披露狂言として、一昨年の京都の顔見世興行で『京鹿子娘道成寺』を踊りましたが、「体力的にいっぱいいっぱい。これを70歳過ぎて踊るとは、父はすごいなと」。戦争に行き、図らずも若いときに体を鍛えることになったのが、後年の舞台につながったのではと想像し、「父の修業、人生のすごさを感じました」。振りの一つひとつがつらい動きで、「体を使い切らないと踊りきれない。しかも、体をできるだけ使うことが、いいものになる一つの手段」と、踊る厳しさ、難しさについても触れました。

 

 踊りながら、演じながら、教えられたことがわかってきて、「父はずいぶん遠くてなかなか近づけないと思いますが、なぞっていくうちに身につくと言っておりましたので、なぞっていれば少しは近づくのかなと」、父の芸を追い求めます。

 

 父として、師匠として、「普段はとても優しく、芸には非常に厳しい」人だったという四世雀右衛門。思い出すのは怒られていたことばかりだけれど、「それが逆に、ありがたい」。もう七回忌という時の流れの速さのなか、「父に上のほうから、少しは成長したか、と思ってもらうことができたら」と、五代目として3年目を迎える雀右衛門が、今度の『男女道成寺』に気持ちを込めました。

 歌舞伎座百三十年「三月大歌舞伎」は3月3日(土)から27日(火)までの公演。チケットは、チケットWeb松竹チケットWeb松竹スマートフォンサイトチケットホン松竹で販売中です。

2018/02/13