吉右衛門が語る「秀山祭九月大歌舞伎」

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 9月1日(土)に初日を迎える新橋演舞場「秀山祭九月大歌舞伎」。秋の観劇シーズンを迎えて演舞場では、昼夜二本立てにしてお芝居をじっくりお見せするという、新しい構成での上演を行います。

 この公演に向けて、吉右衛門が7年目を迎える秀山祭への思いと、自ら勤める三つの役について話しました。

若い人たちが出てきてくれてうれしい
 吉右衛門が「自分の子どもだと思っているので、20歳くらいまでは見守りたい」という秀山祭。初代吉右衛門の俳名を冠した公演は「初代の舞台に対する姿勢、歌舞伎に対する思い、役者の魂を受継ごう」と平成18(2006)年、初代の生誕120年を機にスタートしました。回数を重ね、「古典歌舞伎を勉強していこうという覚悟が、若い人たちにできてきたことがうれしい」と言う吉右衛門。

 「初代は必ず、『河内山』は質見世、『桔梗旗揚』は眉間割り(饗応)からやっていました。芝居の筋をお客様にわかって見ていただいたほうが、より歌舞伎を面白く見られると考えたからだと思います。『菅原伝授手習鑑』も、寺入りをつければ、千代の切なさがよりわかると思います」。初代の芝居に対する姿勢を反映することが、現代のお客様がより歌舞伎を楽しんでいただくことにつながっています。

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丁々発止で――『寺子屋』武部源蔵
 初代の源蔵は「松王と対等にぶつかっていくやり方。二人のぶつかり合いで『寺子屋』という芝居は面白くなる」との考えだったことから、今回は「遠慮せずに(松王丸の)染五郎にぶつかって」いくことで、その松王丸の跳ね返しに期待を寄せます。しかし同時に、源蔵はシテではなくあくまでもワキであり、狂言回しとして松王がしやすいように芝居を運び、お客様に状況を伝える役目もあって、「至難の役でございます」とのこと。

 「せまじきものは宮仕え」の名せりふは、現代の会社勤めの身にも通じるところのあるひと言で、誰もが聞き入るところです。初代のせりふ回しは語り草にもなっている名調子。「私は、切ない、切ない(気持ちで)と教わりました。その気持ちをリアルではなく、うたい上げるのが歌舞伎です。そこに夫婦の歎きや夫婦愛まで出せれば」と言います。
 
つくづく難しい――『河内山』河内山宗俊
 「茶坊主だけれど策士でもあり、そんな愛嬌のある人間像をつくるのがつくづく難しい」という河内山。「(実父の)白鸚の河内山は器用ではなかったけれど、河内山に、宮家の遣いになっていました」。見顕して河内山に戻るところも、「あくまでも茶坊主であり、下品にならず、しかも凄みを見せなければならない」難役です。

 それだけでなく、「黙阿弥の世話物の、うたい上げるせりふと、トントンとリアルに運ぶせりふ、緩急自在にせりふを使えないといけないと教わり」、7月大阪松竹座公演のために染五郎に教えたことが、自分のための勉強にもなったそうです。

我慢の果ての大見得――『時今也桔梗旗揚』武智光秀
 登場する光秀と春永は、明智光秀と織田信長。光秀は「あまりにも冷静で、主人の春永にも言うべきことをはっきり言う...。史実でもそういうところがあったという説もありますから、よく書けている芝居だと思います。どちらかというと直情径行の私には、難しい役です」。

 そして、耐えに耐えた光秀が終わりに見せる大見得。「九代目さん(團十郎)の見得の話を聞き、写真を拝見して、打上げの見得(芝居の幕切れの見得)とはこういうものだと思いました。なんとかそういう迫力のある見得ができたら」と、今回の上演にも意欲を見せました。

 昨年の秀山祭が最後の芝居となった芝翫を偲ぶ『京鹿子娘道成寺』を加え、昼夜とも二本立てで上演される「秀山祭九月大歌舞伎」。ぜひ劇場でじっくりと歌舞伎を堪能してください。

2012/08/06