猿之助、愛之助が語る「新春浅草歌舞伎」

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 来年1月2日(木)~26日(日)、東京 浅草公会堂 「新春浅草歌舞伎」公演に出演する市川猿之助、片岡愛之助が、製作発表会見で公演への思いを語りました。

若手の活躍の場として
 昭和55(1980)年、第1回公演を吉右衛門、玉三郎、勘三郎(当時勘九郎)を中心にしてあけてから、はや30年以上、今ではすっかり"若手の登竜門"という認識が定着してきた正月の浅草歌舞伎。

 来年の公演に出演する猿之助は13回目、愛之助は9回目の出演とあって、「まだまだ自分も若手と呼ばれる立場ですが、後輩の若手を僕らなりに育てていきたい。保護者のような気持ちです」(猿之助)、「僕らが若手の位置でずっと陣取っていては後輩が育たないので、支えることでともに成長しないといけないですね」(愛之助)と、共演する次代の若手たちへのメッセージのように話しました。

浅草歌舞伎が二人にもたらしたもの
 さらに、猿之助は「空席が目立った浅草歌舞伎に出たことで、それまでは先輩方のお力があってこその満席だったことを知り、自分たちの力のなさを痛感しました。何とかするには日々の稽古、鍛練、そして芸を磨くしかないんです」と、初めて出演した当時を振り返りました。

 「僕にとっての浅草歌舞伎はターニングポイントの一つ」と言うのは愛之助。ほかの公演ではまだまだ脇役だった頃、芯の役を演じたことが重要だったと言い、「大役を演じた後、普段の自分の役にどう生かせるか。引出しをたくさんつくって、今の自分が出ている歌舞伎に役立ててもらいたい」と、語りました。

思い入れのある2つの演目に出演
 猿之助は自主公演で初演した2つの演目に出演。『上州土産百両首』は昭和8(1933)年初演で、「浅草歌舞伎にちょうどよい"重さ"と言ったらいいのでしょうか。古典の『義賢最期』とは違ったよさがあってバランスもよく、若い方にも観やすいのでは」。第2部の『博奕十王(ばくちじゅうおう)』は、「猿翁がつくったもので、伯父の偉大さをアピールしたい」と言い、これからも猿翁の作品を「どんどんやり続けたい」と、言葉に思いを込めました。

 浅草歌舞伎で最初に大役を勤めたのが、『封印切』(平成17年)の忠兵衛、八右衛門のダブルキャストだった愛之助は今回、『新口村(にのくちむら)』の忠兵衛を勤めます。「十三世仁左衛門の相手役としてずっとその芸を見ていた父、秀太郎に教わったとおりにやります」。第1部の『義賢最期』は4回目、「上演回数を重ねるごとに、立廻りよりも前半の武士の生き様や忠義に興味を持つようになりました」と言います。猿之助から「家の芸を守る姿勢に共感する」と言われたように、松嶋屋のつくり上げた芝居をしっかり受継いで演じます。

 「先祖が浅草公会堂の楽屋口を出たところに住んでいたらしいと知り、ますます縁が深まりました」と、猿之助。愛之助も、客席で見ていた当時、「皆で芝居を作っている感じがうらやましかった」と話したように、出演者の一体感、劇場全体の熱気、そして、浅草という街そのものが一緒になってつくり上げる歌舞伎、それが「新春浅草歌舞伎」。チケットは11月20日(水)より、チケットWeb松竹チケットホン松竹で発売です。

新春浅草歌舞伎 公式サイトはこちら

2013/11/16