又五郎が紫綬褒章受章

又五郎が紫綬褒章受章

 11月2日(日)、中村又五郎が紫綬褒章を受章することが、内閣府より発表されました。

感謝にあふれる受章
 平成26年秋の褒章が発表された2日、「科学技術分野における発明・発見や、学術及びスポーツ・芸術文化分野における優れた業績を挙げた」者に授与される紫綬褒章の受章者に、又五郎が選出されました。一報を受けて又五郎は、「お教えをいただいた先輩方、子どものときからお世話になったおじさん方への感謝の気持ち」でいっぱいになったと、喜びを表しました。

 祖父である三世時蔵と一緒に写った写真も残る又五郎。これまで、「教えていただいたことができないということの葛藤はあっても、歌舞伎が嫌になったことは一度もありません。そう思うと、この家に産んでくれてありがとう」という気持ちであると述べると、「(三世時蔵夫人の)祖母、そして母が生きていたら喜んだろうな」と思いを馳せました。

初舞台から50年
 昭和39(1964)年7月の初舞台から50年目の受章。50年間を振り返り、「子役時代に十七世勘三郎のおじさんが厳しかったこと、成駒屋のおじさん(歌右衛門)の舞台で子どもながらに緊張したこと、(十八世)勘三郎さんと十代の頃に歌舞伎座でよく一緒に踊らせていただいたこと、2回の襲名(昭和56年6月、平成23年9月)」などが印象深く思い出されると話しました。

 十七世勘三郎には子どもながらに厳しく叱られたが、「でも、今にしてみればそれが本当によかったと思います」と又五郎。さらに三代目又五郎襲名では「各劇場と、全国各地での公演、すべての公演をさせていただけたことに感謝しています」と述べ、二世又五郎に、「又五郎という名を継がせていただけたからこそ、今回につながりましたとご報告したい」と語りました。

 「先の錦之助(萬屋錦之介)の叔父が“その日その日の舞台を真摯に勤めなくてはいけない”と言うのを子どもの頃、よく聞いておりました」と話す又五郎は、今後について聞かれても、「やらせていただくお役を一所懸命勤めるのが責務。播磨屋の一員として、吉右衛門のおにいさんがなさっているように、どの役というより、教えていただく播磨屋の芸を自分なりにつき進めていけたら」と、笑顔で答えました。

又五郎が紫綬褒章受章

2014/11/02