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海老蔵が『助六由縁江戸桜』上演で築地の魚河岸会へ

海老蔵が『助六由縁江戸桜』上演で築地の魚河岸会へ

 左より、市川海老蔵、魚河岸会会長 伊藤宏之氏

 

 

 3月3日(金)から始まる、歌舞伎座「三月大歌舞伎」の歌舞伎十八番の内『助六由縁江戸桜』に出演する市川海老蔵が、築地の魚河岸会で「江戸紫の鉢巻」の目録を受け取りました。

 歌舞伎十八番の内『助六由縁江戸桜』では、代々の市川團十郎家の俳優が助六を勤める際に、魚河岸へ挨拶に行き、旦那衆から舞台で使用する引幕と下駄と鉢巻が贈呈されていました。その伝統が今に受け継がれ、現在は助六の締める江戸紫の鉢巻が、魚河岸水神社と魚河岸に関する文化行事を守る魚河岸会から、助六を演じる團十郎家の俳優に贈られています。

 

海老蔵が『助六由縁江戸桜』上演で築地の魚河岸会へ

鉢巻と河東節、『助六』と縁の深い魚河岸

 今回、歌舞伎座で柿葺落興行以来、約4年ぶりに『助六』が上演されるにあたり、築地市場に関わる300人近い魚河岸会の会長を務める伊藤宏之氏から海老蔵へ、鉢巻の目録贈呈が行われ、その様子が公開されました。「いつもは厳かに、ここ(魚河岸水神社遥拝所)でお参りさせていただき、目録を頂戴しています」。新之助を名のっていた平成12(2000)年1月新橋演舞場で初演して以来、8回目となる伝統行事を、今回も無事に終えました。

 

 助六の出端(では)で演奏される河東節は、魚河岸の旦那衆がたしなんでいた芸で、今も『助六』上演の折には、魚河岸会から何人かが舞台に上がります。「河東節は『助六』とほぼ同じ頃に生まれ、魚河岸とは切っても切れないご縁があります。今年は河東節開曲300年、その節目に歌舞伎座で『助六』ができるのも先祖のおかげ。こんな幸せな者はいません」と海老蔵は喜びました。

 

海老蔵が『助六由縁江戸桜』上演で築地の魚河岸会へ

初演で受けた恩を返す

 これまで勤めた助六で印象に残るのはやはり初演だと、海老蔵は言います。「歌舞伎でも図抜けて特別な演目。今思えば、花道へ飛び出したときはびびって震えそうでした。芝居の終盤には舞台の下手側から、真ん中で二人を留める(四世)雀右衛門のおじ様の揚巻、上手に左團次さんの意休、という舞台を見て、自分は今何をしているんだろう、普通はありえないと思いました。子に対する父の思いや先輩方の思いが感じられ、本当にありがたかった記憶しかありません」。

 

 揚巻を演じた四世雀右衛門は当時80歳。「私が22歳で、58違い。若者の門出を後押ししてくださった先代のおじ様の大きさ。すごいことです。今回は(五代目)雀右衛門になられたお兄さんが初めて揚巻をなさる。初演のご縁でこうなっていることが心に沁みます」と感慨深げ。父、十二世團十郎の教えは今も「全部覚えています」と言い、「父の役者としての華を一番感じたのが助六」と話して、数々の懐かしい舞台を思い起こさせました。

 

海老蔵が『助六由縁江戸桜』上演で築地の魚河岸会へ

 『助六由縁江戸桜』市川海老蔵

踊りでもない語りでもない 

 花川戸の助六という役を海老蔵は、「なんともいえない孤独と向き合わないといけない役」と表現します。若かった頃はその孤独との戦いがあり、また、江戸随一の色男をどう表したらいいのか模索し、かなり葛藤したそうですが、「今はあまり気にしません」。難しいのは出端で、「踊りでもない語りでもない。踊ってはいけないといわれますが、演じるうえでは初代團十郎の話や杏葉牡丹(ぎょようぼたん)のいわれなど、語ることを心得てやっています」と明かしました。

 

 今回も意休は左團次が演じ、1月に襲名したばかりの右團次が口上を述べます。「左團次、右團次そろい踏み。市川家にとっては、九代目の門弟として別格の名跡が一つの舞台に上がるのは、とてもありがたいし、めでたい」。魚河岸会をはじめとする多くの人に支えられ、二代にわたる雀右衛門との共演などさまざまな縁に思いを寄せて、この3月、海老蔵の助六が歌舞伎座の花道へと踏み出します。 

 歌舞伎座「三月大歌舞伎」は3月3日(金)から27日(月)までの公演。チケットは、チケットWeb松竹チケットWeb松竹スマートフォンサイトチケットホン松竹にて販売中です。

2017/02/24