道成寺もの

どうじょうじもの

 恋しい男安珍を追いかけて執念のあまり大蛇と変じた清姫が、安珍の隠れる道成寺の鐘に巻きつき焼き殺したという伝説を題材にした舞踊は、元禄年間(1688~1704年)から上演されています。宝暦3年(1753年)中村座で初代中村富十郎が、この"道成寺もの"の集大成ともいえる『京鹿子娘道成寺』を初演し、すっかり人気演目となります。

 もともと歌舞伎舞踊は、芝居の中では立役に花を持たせ辛抱することの多い女方が、おもう存分技量を披露し活躍できる場でした。しかし、安永、天明期(1772~1789年)になると、目先の新しさを求めると同時に、役者の芸風にあう趣向を盛り込んださまざまな舞踊が生まれ、女方に限らず立役も踊るようになってきます。

 そうした流れのなかから、立役が踊る"奴道成寺"、女方と立役二人で踊る"男女道成寺"、人気、実力の拮抗した女方が二人で踊る"二人道成寺"など、さまざまなヴァリエーションが発生していきました。(み)



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