寺子屋

てらこや

 江戸時代、日本の識字率は世界的に見て非常に高かったといわれています。特に江戸や大坂などの都市部で日々暮らしていくには、ある程度字も読め、計算もできなくては、という必要性から、あらかたの人が平仮名ぐらいなら読むことができたようです。

 その知的水準を支えたのが≪寺子屋≫といわれる民間の初等教育機関です。幕臣や諸藩の武士、浪人、僧侶、神主、書家、医者...などさまざまな人が師匠となり、自然発生的に普及しました。

 手習いを中心に、算術や漢学の素読(そどく)、そのほか師匠の妻女が裁縫を教えるところなどもあり、書道算術の流派やその科目によって父兄が師匠を選び、6,7歳で入学させました。

 子供たちの勉強時間は大体五ツ時から八ツ時(朝9時ごろから午後2時ごろ)、夏場はお昼までで、お休みは毎月1日、15日、25日。暮れの12月半ばから1ヶ月ほどは≪長休(ながやすみ)≫となります。勉強の成果は、年末の≪大浚い(おおさらい)≫で先生の前で発表し、習字は毎月≪席書(せきがき)≫といって、生徒が書いた字を室内に貼り出したそうです。

 月謝などは決まっておらず、節句などに思い思いの謝礼を包んだり、盆暮れに贈り物をしたりしたようですが、入学の際は必ず≪束修(そくしゅう=入門する際の贈り物)≫として金銭や菓子折り、扇子などを師匠に納めました。

 『菅原伝授手習鑑・寺子屋』でも≪寺入り≫の場がつくと、小太郎を連れてきた千代が戸浪に、祝儀袋と重箱を贈っているのを見ることができます。(み)



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