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旗本奴

はたもとやっこ

 歌舞伎の『極付幡随長兵衛』で、町奴の長兵衛が対立する水野十郎左衛門や近藤登之助、『番町皿屋敷』で毎日喧嘩に明け暮れ身内を嘆かせている青山播磨といった者たちは≪旗本奴≫といわれる輩です。
家康が江戸に幕府を開いてから30~40年、世の中もようやく落ち着いてきたと思うころになると、"カブキ者"や"達者(だてしゃ。伊達者とも。)"といった牢人くずれの遊興者のほかに、地位のある大名家や旗本の中からも奇矯な振舞いをする者が現れるようになりました。これを≪大名奴≫や≪旗本奴≫と呼びました。
≪旗本奴≫は<吉彌組(きちやぐみ)><大小神祇組(だいしょうしんぎぐみ)><鶺鴒組(せきれいぐみ)>などといったグループをつくりました。歌舞伎では水野十郎左衛門は白柄組と名乗っていますが、実際には<大小神祇組>の頭目株でした。

 派手な身なりや奇抜な髪型をする、大きな髭をつける、なにかというと刀をすぐ抜いて往来であろうと遊郭であろうとところかまわず喧嘩をする、仲間内でしかわからない言葉でしゃべりあう、挙句は辻斬り...など傍若無人な言動を連日くりかえし、市中は大いに迷惑しました。これに対抗するように台頭した≪侠客≫≪町奴≫たちとたびたび抗争を繰り返しています。

 水野十郎左衛門は千五百石取の旗本でした。幡随院長兵衛を無礼討ちにした際は罪は問われませんでしたが、その放埓な行動がとがめられ、二年後の寛文3年(1664)、評定所に呼び出されました。髪もぼさぼさのまま袴もつけず現れたところ、不敬であると即時切腹、二歳の嫡子も斬られ、家名は一時断絶となっています。(み)



解説

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