独参湯

どくじんとう

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▲『仮名手本忠臣蔵』と、その他の忠臣蔵ものの主要な登場人物を描いている
三代豊国「仮名手本忠臣蔵 忠臣講釈 再度清書」・安政4年(1857年)・大判錦絵2枚続・国立国会図書館蔵(禁無断転載)


〝独参湯〟とは、万病に効く起死回生の気つけ薬で、朝鮮人参を用いた薬湯のことです。『仮名手本忠臣蔵』は、寛延元年(1748年)の初演以来、常に大当たりを取る人気作品であることから、芝居の世界の〝独参湯〟と例えられるようになりました。

 では『仮名手本忠臣蔵』が、常に大当りをとるという認識は、いつ頃からなされるようになったのでしょうか。
 『仮名手本忠臣蔵』の初演から37年後の天明5年(1785年)に、『古今いろは評林』※1という書物が出版されました。この『古今いろは評林』の跋文(ばつぶん)に、「忠臣蔵の狂言、いつとても大当りならぬ事なき」という記述があり、既にこの段階で『仮名手本忠臣蔵』が、上演する度に大当たりをとる作品であると、認知されていたことがわかります。
 こうした背景を受けて『仮名手本忠臣蔵』は、〝芝居の独参湯〟と例えられるようになりました。

 なお『仮名手本忠臣蔵』を、〝芝居の独参湯〟と例えた早い事例としては、次に記した『花江都歌舞妓年代記』※2の延享3年の条があげられます。
「竹田出雲作にて『仮名手本忠臣蔵』後寛延元年辰八月十四より、興行す。今に芝居の独参湯となる。」(M)

※1『古今いろは評林』(ここんいろはひょうりん)
三世八文字屋自笑(はちもんじやじしょう)編。『仮名手本忠臣蔵』の初演以来の歌舞伎の上演年表と、主要な役についての劇評を記したもので、江戸時代の『仮名手本忠臣蔵』の上演史を窺う上で、大変有益な資料である。

※2『花江都歌舞妓年代記』(はなのえどかぶきねんだいき)
立川焉馬(たてかわえんば)が編纂した江戸歌舞伎の興行記録で、寛永元年(1624年)から、文化元年(1804年)までの興行記録が記されている。文化8年(1811年)から文化12年(1815年)にかけて出版された。



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