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大阪松竹座 「七月大歌舞伎」  『菅原伝授手習鑑』「寺子屋」 知っているともっと面白くなる!

ようこそ歌舞伎へ 片岡仁左衛門

不憫な兄弟に思いを馳せる

 ――松王丸は梅王丸、桜丸と三つ子の兄弟です。秀才の身替りに立つという手柄を立てた我が子小太郎に比べ、非業の死を遂げた桜丸が不憫だと嘆く場面があります。

 小太郎が最後にさぞ未練を見せたであろうと源蔵に尋ね、にっこりと笑って潔く首を差し伸べたと聞かされると、「笑いましたか」と受けて、泣き笑いをします。義太夫では「ウーフ、ハーハ」と大きく笑います。人形浄瑠璃の人形だから、それができる。生身の人間で、あそこを取り入れるのは難しい。かといってあまりリアルにすると古典の丸本(浄瑠璃)物の味がなくなる…。兼ね合いが難しいところです。

 こうして我が子の最期を聞いた後に、「桜丸が不憫でござる」と言って泣く。それで、桜丸にかけて我が子小太郎の死を嘆いているんだとおっしゃる方もおられますが、それは間違いで、完全に桜丸の死を嘆いて大泣きします。本文も「さすが同腹同性を忘れ兼たる」となっています。我が子の死を悲しむのなら、義太夫の文句が変わるはずです。

大阪松竹座 「七月大歌舞伎」

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平成26年7月3日(木)~27日(日)

公演情報

平成20年11月歌舞伎座
(C)松竹株式会社

『菅原伝授手習鑑』すがわらでんじゅてならいかがみ「寺子屋」てらこや

舎人松王丸 片岡 仁左衛門
松王女房千代 中村 時 蔵
源蔵女房戸浪 尾上 菊之助
涎くり与太郎 中村 国 生
百姓吾作 片岡 松之助
春藤玄蕃 片岡 市 蔵
武部源蔵 中村 橋之助
御台園生の前 片岡 秀太郎

物語の中の松王丸という人物の位置

 ――松王丸は時平の家臣です。どんな立場だとお考えですか。

 元は牛飼い舎人(とねり)ですが、後の場面での身分は、はっきりとしません。「寺子屋」では、はっきりとしなくていいと思うんですよ。ただ玄蕃より身分が低いことは確かです。松王丸が最初に駕籠から出てきたときに、玄蕃役がお辞儀することがあるのですが、私はお辞儀をさせないようにしています。松王丸は病気(仮病ですが)だから、駕籠に乗ってきているだけです。偉いから駕籠に乗って来たのではありません。

 首実検が終わってから、松王丸が、「お暇賜わり…」と願うと、玄蕃は「勝手次第」と答えます。それに対して松王丸は「しからば」と言います。この「しからば」も、礼儀を持って、下の者が上に対する「しからば」でなくてはいけない。そういうことを大事にしています。

 ――せりふの言い回しや態度で立場を明らかにされているのですね。

 菅秀才はもちろん、御台(園生の前)への態度も大切です。玄蕃の前では菅丞相は敵方ですから菅秀才に「若君」を付けませんでしたが、松王丸は菅丞相のために、我が子を犠牲にしている。その方の奥さんですからね。菅丞相に対するのと同じぐらい、敬う心がないといけません。今度は兄(秀太郎)が御台さんに出てくれます。

 ――仁左衛門さんは源蔵も度々なさっています。源蔵をされたことによる、発見もおありかと存じます。

 松王丸と源蔵の両方をやることで、人物像がより見えてきます。それも、ほかの役者さんのお芝居を客席で拝見するのと、お芝居をご一緒するのとでは、また違うんですよね。

 源蔵はしんどいです。松王丸は寺子屋に戻ってからは、源蔵に向けて物語っています。それを受け止める。しかも、源蔵は松王丸の子どもである小太郎を斬ってしまっているわけです。それをわきまえながら、松王丸のせりふを聞いている辛さといったらありません。何もしていないときが一番しんどい役です。言い方を変えると、楽にやろうとすれば、こんなに楽な役はないかもしれません。

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