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歌舞伎いろは

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歌舞伎座「壽 初春大歌舞伎」『菅原伝授手習鑑』「寺子屋」
今度の舞台を楽しく見るために

ようこそ歌舞伎へ 二代目松本白鸚

咳ひとつに込められた松王丸の思い

 ――『寺子屋』の松王丸は昭和37(1962)年に勉強会の「木の芽会」で初演されています。

 あのときは父(初世白鸚)に習いました。父は播磨屋の祖父(初世吉右衛門)に教わったはずです。衣裳は黒地に雪持ち松の成田屋系ですが、型は播磨屋の祖父が自分で編み出し、今のようにしたのだと思います。

 ――最初に松王丸は藤原時平の命令を受け、武部源蔵が女房の戸浪と営む寺子屋へ、菅秀才の首実検に来ます。松王丸は病気と偽っているので咳をします。咳をどのタイミングでするかは、何通りかございますね。

 私は、咳を父からの教えのとおりに、「助けて帰る」のせりふのところでいたします。咳の仕方は播磨屋の祖父は本行(人形浄瑠璃)から取っているはずです。それを父から私が受け継いでおります。

 松王丸を何度か勤めたあとに中村屋のおじ(十七世勘三郎)の舞台を拝見しました。おじは音羽屋系(尾上菊五郎家)の銀鼠に雪持ち松の衣裳でした。おじは時代物でも非常にリアルな演技をした人です。六代目の型に自分の工夫を入れたのだと思います。咳の仕方もよりリアルになっていました。

 おじに習ったことはありませんが、舞台を拝見していましたので、その咳の仕方も勉強させていただきました。哲ちゃん(十八世勘三郎)の松王丸で源蔵に出たことがありますが、哲ちゃんも中村屋のおじのような咳をしていました。

『菅原伝授手習鑑』「寺子屋」(すがわらでんじゅてならいかがみ てらこや)

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撮影:加藤 孝

 太宰府へ流罪となった菅丞相から、筆法の奥義を伝授された武部源蔵は、丞相の実子、菅秀才を自らが営む寺子屋にかくまっています。丞相と敵対する藤原時平の家臣、春藤玄蕃から秀才の首を討って渡すように言われた源蔵は、寺子を身代わりにと思いつきますが、いずれを見ても山家育ち…。そこへ女房の戸浪が引き会わせたのが、寺入りしたばかりの小太郎でした。器量よしの気高い顔を見て、これはと源蔵は決意を固めます。間もなく現れた松王丸と玄蕃に小太郎の首を差し出すと、首実検役の松王丸も間違いないと言って帰りました。

 安堵したのも束の間、小太郎の母、千代が我が子を迎えにやって来ました。口封じに源蔵が斬りかかると、千代は小太郎が身代わりとして役立ったかと尋ね、再び現れた松王丸が、菅丞相の御恩に報いるために我が子を身代わりにしたと明かします。松王丸夫婦は我が子の最期の様子を聞いて涙を流し、松王丸がかくまっていた菅丞相の御台所、園生の前と菅秀才を引き合わせると、一同は野辺送りの焼香をして小太郎を弔うのでした。

 ――咳をすることで、源蔵に秀才の身代わりに寺入りしたばかりの小太郎を立てるようにと注意を喚起するわけですね。

 私は、玄蕃に悟られぬよう、彼を煙に巻きます。「助けて帰る」と思わず言って、咳でごまかし、「手もあること」と続けますが、それは玄蕃に言っているわけです。

演劇的な歌舞伎になる可能性がある『寺子屋』

 ――源蔵が秀才の首を討つと言って源蔵が奥に入った後に、松王丸は机文庫を見て、戸浪に「机の数が一脚多い」と言います。

 小太郎が寺入りしているかを確認するために机の数を数えます。そして「一脚多い」とわざと戸浪に言うと、戸浪は思わず「今日寺入りした」と小太郎のことを言いかけるので、「何をばかな」と叱ってその場を取り繕います。そういう考え抜かれたせりふが随所にあります。一番演劇的な歌舞伎になる可能性のある演目だと思います。

 ――首実検も緊迫した場面です。

 「菅秀才の首に相違ない、相違ござらん。でかした源蔵、よく討った」というせりふがあります。これも播磨屋の祖父の工夫ではないかと思いますが、「でかした」を我が子の首に言うんですね。そして、「源蔵、よく討った」と源蔵に向かって続け、辛い本心を隠します。心理描写が要求される難しい見せ場です。

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