猿之助、中車が語る大阪松竹座「壽初春大歌舞伎」

shochikuza_201301a.jpg
 2013年1月1日(火・祝)~26日(土)、大阪松竹座「二代目市川猿翁 四代目市川猿之助 九代目市川中車 襲名披露 壽初春大歌舞伎」公演の前に、猿之助と中車を囲んでの取材会が行われました。

 大阪の劇場では、昭和38(1963)年の中座以来、50年ぶりとなる元日初日の歌舞伎公演とあって、「正月と襲名で2倍おめでたい。できれば客席にいたいですね(笑)」と猿之助。「来年は4回目の年男。元日から歌舞伎ができて喜ばしい」と、中車も意気込みを見せ、それぞれが6月、7月の新橋演舞場公演に続く襲名披露公演で、今回挑む役について述べました。

shochikuza_201301b.jpg

"神業"に近い「四の切」に挑む
 猿之助は昼夜で『義経千本桜』に出演。昼の部『吉野山』は澤瀉屋のやり方で花道を狐六法で引っ込み、夜の部は三代猿之助四十八撰の一つ「四の切」で、宙乗りの狐六法を見せます。「三代目(現 猿翁)の代表作は『四の切』『ヤマトタケル』『黒塚』だと僕は思っています。三代目の『四の切』は神業に近いと言っていいくらい素晴らしい。どこまで勉強できるか、深めていけるかに挑戦する年だと思います」。

 「『四の切』は究極の形。いじってはいけない。自分のズレが1ミリでも、10代伝わると1センチのズレになります。百年先を思うと、歌舞伎を後世に残すのであれば、自分が1ミリでもずれてはいけないんです」。厳しい姿勢で臨む公演ですが、6月に実現した秀太郎の静との共演が、早くも再演となることがうれしいそうです。

まさか、あそこに自分が立つとは!

shochikuza_201301c.jpg

 7月の1カ月間、黒衣として猿翁についていた『楼門五三桐(さんもんごさんのきり)』で、今回は石川五右衛門として山門の上に立つ中車は、「自分があそこに立つとは、夢にも思いませんでした。まだ、古典の壁の足元にも及びません。ただ稽古の中で、四代目(猿之助)が言うとおりミリ単位で完璧にしていく、その様式が歌舞伎であって、肉体にその精神が入っていくこと自体、矛盾した行為ですが、そういう挑戦を何十回、何百回と繰り返していくことが、映像にない面白さなんだと思うんです。そして、そういうことにはまっていくことが僕は好きだったようです」と、歌舞伎に面白味を見出している様子でした。

 猿翁との初の親子共演については、実際に稽古をしてみると気負いより、「そういうことか、という感じです。役者としてのお互いの気持ちは確認し合っているので、ズレのないようにという神聖な気持ちです」とのこと。『小栗栖の長兵衛』の長兵衛については「好きな役です。初代のVTRを拝見して勉強させていただきました。再演はなによりうれしいです」。

6月、7月の襲名披露を振り返って
 今では亀治郎の文字を見ると「他人のよう」と言う猿之助。「考えてみたら、襲名披露では人間の役を一つもやっていない。これも"猿之助"という俳優を表しているのではと思っています」。

 猿翁もやっていなかった、スーパー歌舞伎と古典の演目を1日で上演する試みについては、猿之助が「6月は特に体力が大変でした。スタッフの皆さんのおかげでできました」と感慨深く振り返りました。猿之助の舞台袖での姿に、その大変さを目の当たりにしていた中車は、「父の8年ぶりの舞台、僕や息子の初舞台...。アクロバティックなことができたのは、本当に四代目がいたからこそ」と、猿之助への深い感謝の意を表しました。

 さらに中車は、「部屋に襲名のお練りの写真を飾っていますが、その写真は"亀治郎"の顔なんです。それが、6、7月を経てすっかり"猿之助"の顔に。自分も"中車"に早くなっていきたい。(初世からの)8人の名の重さを感じずにはいられません」と緊張の面持ちで続け、「でも、サインは書きやすいです」と、照れ笑いで場を和ませました。

 大阪松竹座「二代目市川猿翁 四代目市川猿之助 九代目市川中車 襲名披露 壽初春大歌舞伎」公演は2013年1月1日(火・祝)~26日(土)。チケットはチケットWeb松竹チケットホン松竹にて販売中です。

2012/12/11