襲名披露「六月大歌舞伎」初日の幕が開きました!

 6月5日(火)、新橋演舞場で初代市川猿翁 三代目市川段四郎 五十回忌追善 二代目市川猿翁 四代目市川猿之助 九代目市川中車襲名披露 五代目市川團子初舞台の「六月大歌舞伎」が開幕しました。

 昼の部、福山雅治さんから贈られた祝幕が飾られた場内、幕が上がる前から「澤瀉屋!」の声もかかり、いよいよ『小栗栖の長兵衛』が始まりました。揚幕が開いて中車として花道から舞台へ。歌舞伎俳優の一歩を踏み出した瞬間、お客様は万雷の拍手で中車を迎えました。

 続く口上では、猿之助からのユーモアを交えた挨拶に、場内が何度も沸きました。「猿之助を襲名いたしまして嬉しさ100%」と喜びの言葉に続き、「歌舞伎のために命を捨てる覚悟」と力強い宣言も出ました。中車は襲名に「感無量の思い」と感動を表し、「生涯をかけまして精進し、九代目中車を名乗る責任を果たしてまいりたいと存じます」。團子の「猿翁のおじい様よりずっと立派な俳優になることが私の夢でございます」との元気なご挨拶には、一段と大きな拍手が。そして背景の襖が開き、猿翁が登場。この日、一番大きく長い拍手が起こりました。

襲名披露口上

▲ 右から、坂田藤十郎、市川段四郎、市川猿之助、市川猿翁、市川中車、市川團子

 

 昼の部の切は、三代猿之助四十八撰の内『義経千本桜』「川連法眼館の場」。藤十郎の義経、秀太郎の静が見守るなか、早替りや立廻り、そして宙乗りと猿之助が大活躍。大きな拍手と掛け声、そして桜吹雪。初日の昼の部は終始、お客様の温かい拍手で包まれながら幕を閉じました。


 夜の部は『ヤマトタケル』。スーパー歌舞伎初の劇中での口上に、猿之助と中車が登場しました。猿之助が、「前例がなければ作ればいいというのがモットーで、不可能を可能にするのが澤瀉屋」と、しっかりと受け継いだ澤瀉屋の精神を語り、「三代目猿之助は偉大な存在でございます。三代目猿之助といえば、古典歌舞伎はもちろんの事、スーパー歌舞伎の創始者です。スーパー歌舞伎はいまや立派な古典になったと思っております。『ヤマトタケル』をやらせて頂きたいという念願かなった事は、皆様の熱い熱いご支援の賜物です」と感謝の気持ちを述べました。

 中車は「1986年に新橋演舞場で『ヤマトタケル』が初演された当時私は学生で、新しいひとつの文化を遠くきらびやかな絵巻物のように見ていた記憶がございます。それから何十年が経ち、まさかその『ヤマトタケル』で初めて歌舞伎の舞台に御目見得させて頂くことになるとは、本当に有難く夢のようです」と、熱のこもった口上を述べました。

劇中口上『ヤマトタケル』

▲ 右:市川猿之助、左:市川中車


 そして、いよいよ『ヤマトタケル』の舞台が始まり、煌びやかな衣裳を纏った中車が威厳のある帝を演じ、続いて小碓命を勤める猿之助が颯爽と登場して、同じ舞台での共演を果たしました。三幕目では、團子がワカタケル役を堂々と演じ、クライマックスのヤマトタケルの宙乗りは圧巻で、そして劇場は感動のるつぼでした。最後のカーテンコールでは、作者である梅原猛、そして猿翁も登場し、会場はスタンディングオベーションとなり熱気と興奮に包まれました。

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カーテンコール。 左から、坂東彌十郎、市川門之助、市川猿翁、梅原猛、市川猿之助、市川中車、市川團子、市川笑也、市川笑三郎


※澤瀉屋の「瀉」のつくりは、正しくは"わかんむり"です。

2012/06/05