翫雀が「四代目中村鴈治郎襲名を祝う会」で思いを新たに

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 11月27日(木)、大阪 リーガロイヤルホテルにて「四代目中村鴈治郎襲名を祝う会」が開かれ、襲名する中村翫雀があらためてその思いを語りました。

「鴈治郎」の名跡、待望の復活に沸く会場

翫雀が「四代目中村鴈治郎襲名を祝う会」で思いを新たに

左より、坂田藤十郎、中村翫雀、中村扇雀

 「鴈治郎の名前が復活します!」との司会の発声に、約800名が盛大な拍手で祝福して、襲名披露パーティーが始まりました。鴈治郎をかつて三代目として名のり、四代目の父でもある坂田藤十郎が、「私も襲名するような気持ちになりました」と会場を沸かし、「上方歌舞伎を先祖から四代目まで大事にしてきました。いつまでも隆盛にしたい。ご贔屓賜りますようお願い申し上げます」と挨拶しました。

 

 四代目の母で、藤十郎夫人の扇千景さんも登壇し、「来年は初代が亡くなって80年、また、二代目の三十三回忌でもあります。その年に襲名。役者の家に嫁いだ役目が果たせたように思います」と挨拶。期待を込めたその二人の力強い言葉を受け、高張提灯に先導されて登場した翫雀は、「鴈治郎という名前になることがうれしくて、うれしくて、うれしくて…、けれども今あらためて、鴈治郎という名前の大きさを、ひしひしと感じています」と、感謝と喜びを語りました。

上方歌舞伎の隆盛につながれば
 「大学を卒業して歌舞伎の世界にどっぷり入ってから、30年が経ちました。30年経ってやっとこの“イ菱”の紋付が着られるようになった、と感じております。これから30年経っても、まだ今の父の歳です。80過ぎても鴈治郎という名前をしょってやっていけるよう、そして皆様に愛される鴈治郎という名前をこの世に残していける役者になっていくことを、自分の肝に銘じているところです」

翫雀が「四代目中村鴈治郎襲名を祝う会」で思いを新たに

 中村翫雀と翫雀夫人の吾妻徳穂

 深々と頭を下げた翫雀にいつまでも大きな拍手が送られたのは、鴈治郎襲名への祝福に加え、翫雀の「これが上方歌舞伎、ひいては上方文化の隆盛につながれば」との願いに、会場の皆さんも賛同の気持ちを表されたのでしょう。名跡復活をどれだけ大阪の人が期待しているかが伝わる、熱く、温かい拍手でした。

初代鴈治郎と松竹の深い縁
 祝う会の発起人の一人として迫本淳一松竹株式会社社長からは「初代鴈治郎さんと松竹は強い絆で結ばれており、松竹がこうしてあるのは初代さんとの関係があったからこそと言っても過言ではありません。松竹は来年120周年、その年に鴈治郎を襲名されることに大変な縁を感じます。来年は大阪のシンボルイヤーで文化的なイベントが目白押しとうかがっています。その先駆けとして、四代目の襲名が大阪の文化に貢献できましたら、松竹としても大きな喜びです」と祝辞が贈られました。

 「松竹創業者の白井松次郎、大谷竹次郎が京都の三条の橋の上で、初代鴈治郎さんと偶然出会って話したことが縁となり…」と大谷信義松竹株式会社会長も、両者の深い縁について触れ、「新しい鴈治郎さんには、初代鴈治郎さんの芸、成駒屋の伝統的な芸を継いでいただくと同時に、新しい鴈治郎の芸をつくっていただきたい」と期待を込めました。

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 京都五花街の舞妓の祝舞「祇園小唄」などもあって、賑やかな時間はあっという間に過ぎ、最後は大阪締めでお開きに。

 ほっと一息ついた翫雀は「今日は、イ菱の紋を着て、(襲名とは)こういうことなんだと実感しました。あとは芝居が開いてからです。船乗り込みでは皆さん“がんじろはん!”と声をかけてくださるだろうし、やはりこのイ菱を着ます。12月28日の船乗り込みの前の高津宮の成功祈願のときから鴈治郎にならせていただきますので、皆様よろしくお願いします!」と、元気な笑顔で締めくくりました。

 中村翫雀改め四代目中村鴈治郎襲名披露は、2015年大阪松竹座の「壽初春大歌舞伎」「二月大歌舞伎」から始まり、4月歌舞伎座、6月博多座、7月9月全国公演、そして12月南座と続きます。どうぞ、劇場へ足をお運びください。

2014/12/02