鴈治郎が歌舞伎座襲名披露、初日を終えて

 4月2日(木)、東京での襲名披露公演である 歌舞伎座「四月大歌舞伎」の初日の舞台を終えた中村鴈治郎が、あらためてその喜びと感謝の気持ちを語りました。

 昼の部の『廓文章』では劇中にて襲名口上を行い、夜の部の『成駒家歌舞伎賑(なりこまやかぶきのにぎわい)』では襲名披露口上が行われました。すでに、大阪松竹座で2カ月にわたる襲名披露興行を行っている鴈治郎を、道頓堀の座元の仁左衛門が案内し、江戸木挽町の座元である菊五郎、太夫元の吉右衛門、芝居茶屋亭主の梅玉らに引き合わせます。

 そこに、男伊達と女伊達がやってきて、両花道にずらりと並び、鴈治郎へご祝儀のツラネが始まると、一人ひとりに頭を下げる鴈治郎。鴈治郎のもとへ襲名を祝う人々が駆けつけるといった趣向です。

鴈治郎が歌舞伎座襲名披露、初日を終えて

 初日の舞台を勤め終えた鴈治郎は取材に応え、この口上について「晴れがましいやら、おこがましいやら、ありがたいやら。いつもは(ほかの俳優さんの口上を)頭を下げて聞き入っている状態ですから、面と向かってありがとうございますと言える、こんなうれしいことはありません」と、大勢からの祝福に心からの感謝を表しました。

 昼の部では1月に続いて、父の藤十郎の夕霧を相手に伊左衛門を勤めました。「父が坂田藤十郎を継いだから、私が鴈治郎を継げる。鴈治郎の襲名に父自身がいられること…、父も感じているでしょうが、私も夕霧に出てもらって本当にありがたい。自分が30年後にあんな重い衣裳で立ち座りをと考えると、恐れ入るばかりです」。

 夜の部の『河庄』で紙屋治兵衛を勤めた鴈治郎は、「難しいですね」とひと言。「鴈治郎という名前はもともと初代が一代限りと、強い気持ちでつくった名前なのでしょう。だからこそこれだけ大きな名前になり、伝説の役者になった。それを継ぐ祖父、二代目も大変な思いだったと思います。私で四代目と歴史は浅いですが、鴈治郎の名前がこれほど愛され、大きく取り上げられること、今年に入ってつくづくその重みを感じます。これからのほうがもっと感じるのではと思いますが」

 鴈治郎を襲名して4カ月目、「まずは一年の襲名披露をきっちり、おろそかにならないよう、つつがなく終え、そこから先で自分の色を出す。いろんなことをしたいですね」と、あらためて鴈治郎としての着実な歩みを進める決意を語った鴈治郎。「最近、自分はやはり、役柄などは父のやってきたことよりも、二代目に近いのではと感じています。鴈治郎としては二代目の祖父を追いかけていくようになると思います」。

 歌舞伎座「四月大歌舞伎」は26日(日)までの公演。チケットは、チケットWeb松竹チケットホン松竹にて販売中です。

2015/04/02