上方歌舞伎・想い出の俳優



二世市川右團治

 明治十四年一月、初世右團治の長男として大阪笠屋町で生れる。十九年一月、角座で本名右之助のままで初舞台を踏む。四十二年一月、中座で父の斎入改名と共に二世右團治を襲名する。
 青年期には、史劇勃興の波に乗って、山崎紫紅、岡本綺堂らの新作を出し物とし、左團次と共演した事も有る。

 肉体的な障害で、発声に難があったが、そんな悪条件の中で見出した活路が、父譲りの狂言「鯉つかみ」「石川五右衛門」「四谷怪談」「法界坊」「小幡小平次」等で見せた早替りや、ケレンで、高島屋風右團治ならではと賞賛された。

 舞踊も父の薫陶を受け、達者な芸を見せ、大阪の踊りの名手と言われた。「雷船頭」「蜘蛛の糸」や「伯蔵主」の両面などを今に残している。特に「卯の花」の酒脱味は後年の代表芸とされている。昭和十年、浪花座の「忠臣蔵」で由良之助を勤め、相当の成績を納めたのが、最後の華であった。

 十一年一月の中座、延若一座の「忠臣蔵」で道行の伴内ほか、同じ四月中座、魁車壽三郎一座の「肥後の駒下駄」の魚屋惣次が道頓堀のお名残で、同年秋病を得て、昭和十一年十月三日、五十六歳で世を去った。

(明治十四年1881年~昭和十一年1936年)


奈河彰輔(なかわ・しょうすけ)

 昭和6年大阪に生まれる。別名・中川彰。大阪大学卒業。松竹株式会社顧問。日本演劇協会会員。

 脚本『小栗判官車街道(おぐりはんがんくるまかいどう)』『慙紅葉汗顔見勢(はじもみぢあせのかおみせ)』『獨道中五十三駅(ひとりたびごじゅうさんつぎ)』ほか多数。大谷竹次郎賞、松尾芸能賞、大阪市民表彰文化功労賞、大阪芸術賞。

 関西松竹で永年演劇製作に携わりつつ、上方歌舞伎の埋もれた作品の復演や、市川猿之助等の復活・創作の脚本・演出を多数手がけている。上方歌舞伎の生き字引でもある。

 ※当時の番附には「市川右團次」「市川右團治」の表記があり、筆者は「右團治」と記していますが、平成28年1月に襲名する名跡は三代目市川右團次、屋号は高嶋屋となります。

上方歌舞伎・想い出の俳優

ページの先頭へ戻る