「ニューヨークを飲み込んだアンチヒーロー」第2回

アンチヒーローへの賞賛
 
 真夏のニューヨークは、劇場が開く19時になってもまだ陽が高い。リンカーン・センターの大きな噴水広場では仕事を終えたニューヨーカーが凉を求めてくつろいでいる。

 リンカーン・センターの中には今回「平成中村座」の公演が上演されるエイブリー・フィッシャー・ホール(Avery Fisher Hall)の他、メトロポリンタン・オペラハウスやニューヨーク州立劇場など数々の音楽施設が集中する。

 ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団のホームホールとして知られているエイブリー・フィッシャー・ホールのロビーはレッドカーペットが敷き詰められ、壁を飾るクラシック奏者たちのモノクローム・ポートレイトが厳かな雰囲気を醸し出している。

 だが客席に一歩足を踏み入れると、そこは見事に私たちの知っている平成中村座だった。天井中央には大きく「平成中村座」の銘があるあの提灯。コの字型の客席を中村屋の紋を染め抜いた赤い提灯が賑やかに飾り、不思議にしっくりとはまっている。ここがニューヨークであることを忘れ、中村座の開演前にいつも味わう、何が始まるのか分からない、ドキドキした気分で開演を待った。

 今回の公演は、労働基準が厳しく定められている演劇組合との取り決めに従い3時間半の芝居を2時間45分に短縮した。そのためのアイデアなのだろうか。ブロードウェイのミュージカルにもあるように、芝居の冒頭は主要人物の振りに合わせたあらすじがナレーションで語られる。中村勘太郎が登場すると、その端正な出で立ちと人形のような静かな動きに客席のざわめきが止む。そして七之助が赤姫の打ち掛けで登場すると美しさにため息がもれる。歌舞伎の持つ様式美が凝縮され、つかみは万全。そして、いよいよ中村勘三郎演じる法界坊の登場だ。

『隅田川続俤(すみだがわごにちのおもかげ)』は天明四年(1784年)、大坂で初演された。聖職につきながら、自分の色欲、物欲、生への執着のままに生きる法界坊はハチャメチャでアナーキーな男。中村勘三郎も記者会見で言っていた。「あんなやつ友達だったら嫌ですよ」と。

 観客のリアクションは、日本でも、ニューヨークでも、ロンドンの劇場でも観たことのない不思議なものだった。台詞の分かる日本の観客たちは、法界坊の悪態や共演者をからかう茶目っ気に笑う。一方、アメリカの観客は法界坊のコミカルな動きや表情ひとつひとつに大きな笑い声を上げる。まるでシットコムのドラマを観ているようなタイミングだ。

 日本人の観客とアメリカ人、いや世界中からきた観客が思い思いに笑うので、芝居の間中笑い声が絶えない。そのことにまた観客たちは楽しくなって、どんどん大きくなる笑い声が劇場を包む。

 特に外国の観客を笑わせたのは「八幡裏手の場」だ。片岡亀蔵演じる番頭・正八がおくみを駕篭に乗せて連れ去ろうとする。それを見た法界坊が隙を見て、おくみを葛籠に移し替えてさらおうとする。欲に侵された人間のエゴイズムが堂々歩きする場面で、むき出しの欲望に笑いが起こる。型や様式ではない、目の前にいる俳優の中に人間の本性を観ようとする演劇本来の熱狂が生まれる。

 法界坊を観たニューヨーカーは様々な感想を抱いたようだ。演出家の串田和美は「法界坊はアメリカ合衆国だ」、そう言われて驚いたという。明るくて楽しい、茶目っ気のある人気者でありながら、戦争となると残忍に空爆を行なう国。光と闇が同居する江戸のアンチヒーローと現代のアメリカ。

 平成中村座が上演する『隅田川続俤』は、およそ220年前の初演に近い台本をもとにしている。演出の串田和美と中村勘三郎によって生命を受けた法界坊は、21世紀のニューヨークと猥雑な江戸をリアルタイムで結ぶ。とんでもない魔力を持っていた。

富樫佳織(放送作家)