「ニューヨークを飲み込んだアンチヒーロー」第3回

時空を超える台詞の妙

 今回のニューヨーク公演で話題となったのは、芝居の3分の1を占める「英語による台詞」だ。

 6月。今年で八回目となる渋谷・文化村のコクーン歌舞伎。夜の部を控えた楽屋には英語のレッスンを受ける中村勘三郎の声が響いていた。

「最初に法界坊を演ったときにね、外国人のお客様が観に来ていて、私が花道で見得を切ったら『カモーン!』って、そんなリアクションがあったんですよ。だから英語にしたらどうかな、やってみたい!と思ったんです」

 英語の台詞にした理由はそれだけではない。

 法界坊には友達がいない。盗みは働く、レイプはする、果ては殺人まで犯す破戒坊主なのだから当たり前だ。しかし憎めないのは、彼が劇中ずっと話している独り言が茶目っ気たっぷりで面白い、人物描写の核だからだ。

「はっきりいって『法界坊』を選んで正解だったのかギリギリまで迷いがあった。前回評価された『夏祭浪花鑑』には洗練された日本の様式美がある。今回は、文化の違いを超えて評価を下される、しかも厳しく評価されるコメディーで勝負したかった。それが正解なのかどうか」と勘三郎は語る。

 中村勘三郎も、演出の串田和美も、自ら大きな重荷を背負い、それを新しい創作へのエネルギーにする人だ。背負うものが重ければ重いほど、血の滲むような努力が必要となり、その気迫が舞台の上で解き放たれる。

 エイブリー・フィッシャー・ホールに現れた法界坊は、同じ舞台に立つ侍や、番頭、お姫様たちを江戸時代に置き去りにして、目の前のニューヨーカーたちに声をかける。

 中村橋之助が決まりの型を決める。すると英語で「あいつは全くかっこつけ。Metorosexual(メトロセクシュアル)だ!」とひとりごちる。「メトロセクシュアル」とは若くて高収入、都会に住んで女性のように身なりを気にする男性のこと。

 舞台の上の俳優たちはキョトンとした演技をしているが、客席のニューヨーカーは大爆笑。そんな俳優たちを法界坊は「彼は英語が分からないんだ。小学校レベルなんだよ」とバカにしたり、時には会場の客に「あんたもそう思うだろ?」と舞台の上から同意を求めたりする。

 記者会見で勘三郎は、法界坊の独り言を「シェイクスピアの芝居のように膨大」だと言っていた。だからというわけではないが、舞台の上で江戸と現代を、そして日本とニューヨークを自在に行き来する彼は『真夏の夜の夢』のパックの姿に重なった。あの、汚い法衣に身を包み、下品なことばかり言っている法界坊がだ。

 演出の串田和美は勘三郎から「英語の台詞を入れたい」と言われたとき、「どこで使うかが問題だ」と思った。「法界坊はこの芝居で唯一、舞台と客席、江戸と現代といった違う次元を行き来する役割を持つ。台詞を英語にすることによって、"劇"という観念すらもブチ壊す効果が出なければ意味がない」

 その狙い通り、舞台というフレームから飛び出した法界坊は観客のひとりひとりをものすごい力で芝居の中に引きずり込んでいく。

 今回、一座が挑んだのはニューヨークだけではない。法界坊はいわずと知れた先代・勘三郎の当たり役。しかし、「親父に言うと怒られるんですけどね、ビデオで親父の芝居を観たらつまんないの(笑)。脚本が違うんですよ。だからこの芝居は勝負だね、うちの親父に勝つか負けるか。きっと分かってくれる、喜んでくれると思う」

 世界に挑戦するだけではない。先代に、そのまた先代の名優たちに挑戦する使命と責任。だからこそ21世紀の今、歴史にも世界のどこにもない、唯一無二の舞台が生み出される。

富樫佳織(放送作家)