筋書いまむかし その参 筋書いまむかし その参


 毎月の公演に合わせてつくられている歌舞伎座の筋書(公演プログラム)。観劇の手引きや記念となる筋書は、歌舞伎座が誕生した明治時代から現在まで、さまざまに形を変えながら続いています。

 この「筋書いまむかし」では、3回にわたり、歌舞伎座が開場130年を迎えた平成30(2018)年に筋書で連載した「筋書でみる歌舞伎座130年」(執筆・資料/公益財団法人松竹大谷図書館)の記事を中心に歌舞伎座の筋書の歴史を振り返り、また現在歌舞伎座の筋書をつくっている筋書編集室の目線で、今の筋書の注目ポイントや楽しみ方を紹介していきます。


文/松竹筋書編集室

目次

第1章. 「むかし」の筋書、その歴史 ~歌舞伎座第四期から第五期へ~

第2章. 「いま」の筋書、ここに注目! ~筋書を彩る表紙絵・挿絵~

第3章. 観劇の手引き ~今月の出演俳優~

第1章.「むかし」の筋書、その歴史 ~歌舞伎座第四期から第五期へ


 連載最終回の今回は、戦後に建てられ60年続いた第四期、そして現在の第五期の筋書をご紹介します。

空白の6年~歌舞伎の危機~

 第四期の筋書の歴史を振り返る前に、終戦から第四期歌舞伎座が開場するまでの歌舞伎の状況について、少しお話したいと思います。

歌舞伎新時代劇上演区分一覧表
GHQ当局と芸能文化検討委員会が折衝し纏めた「歌舞伎新時代劇上演区分一覧表」の表紙(左)と「上演不可能歌舞伎劇之部」ページ(右)。『仮名手本忠臣蔵』や『伽羅先代萩』、『勧進帳』など、多くの人気演目が一時は上演不可となっていた。
(公益財団法人松竹大谷図書館所蔵)

 昭和20(1945)年5月の空襲により、第三期歌舞伎座は焼失しました。しかし、近隣にあった松竹の直営館である東京劇場(東劇/現在は映画館)は奇跡的に焼失を免れ、なんと終戦翌月の9月1日には歌舞伎公演が行われました。

 そうしたなか、GHQによる占領政策が始まると、仇討物あだうちものを中心に多くの演目が“封建的な思想を煽る作品”とされ、民主化の妨げになるという理由で上演できなくなりました。一時は歌舞伎の存続自体が危ぶまれましたが、占領軍内の理解者の尽力もあり、昭和21(1946)年10月『一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき) 熊谷陣屋』(東劇)の上演許可をきっかけに上演不可演目の解禁が始まり、歌舞伎は危機を脱しました。

第四期の開場~歌舞伎の殿堂として~

 そして終戦から6年、第四期歌舞伎座は昭和26(1951)年1月3日の開場式を経て、5日に「新春初開場大歌舞伎」の幕を開けました。演目は第一部に『新舞台観光闇争(しんぶたいながめのだんまり)』、舟橋聖一の新作『箕輪の雪』、吉田絃二郎作『二条城の清正』、『文屋と喜撰』。第二部に伊原青々園原作・永田衡吉改修『華競歌舞伎誕生(はなくらべかぶきたんじょう)』、『二人三番叟』、『籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)』、『戻橋』でした。この興行は大盛況を収め、翌2月25日まで演目を一部差し替えての日延べ公演となりました。歌舞伎座の再開場は戦後の復興も印象づけるものであり、 “歌舞伎座”という歌舞伎の象徴のような劇場での観劇を人々がどれほど待ち望んでいたのかがうかがえます。

 再開場から2年後の昭和28(1953)年、歌舞伎界に大きな慶事が訪れます。11月10日、「芸術祭大歌舞伎」を上演中の歌舞伎座に昭和天皇、皇后両陛下が来臨された天覧歌舞伎です。
 初めての天覧歌舞伎は明治20(1887)年に麻布鳥居坂の当時外務大臣だった井上馨邸内で行われましたが、一般の観客と同じ劇場での御観劇はこのときが初めてでした。両陛下は初世中村吉右衛門の『近江源氏先陣館 盛綱陣屋』と六世中村歌右衛門の『京鹿子娘道成寺』を、2階正面の席よりご覧になりました。この日のためだけに特別な筋書もつくられています。

 その他、第四期では昭和26年4、5月の六代目中村歌右衛門襲名に始まり、大名跡の襲名興行が多数行われ、高麗屋三代同時襲名(昭和56年10、11月)や3カ月連続公演を行った十二代目市川團十郎襲名(昭和60年4、5、6月)などは大きな話題となりました。

歌舞伎座初の天覧歌舞伎(撮影:吉田千秋)
『京鹿子娘道成寺』花子=六世中村歌右衛門
天覧歌舞伎の筋書
(公益財団法人松竹大谷図書館所蔵)
「ナイト・カブキ」の筋書
(公益財団法人松竹大谷図書館所蔵)

 さらに、歌舞伎は国内だけにとどまらず、昭和30(1955)年の中国、そして昭和35(1960)年のアメリカ、昭和40(1965)年のヨーロッパをはじめとし、海外でも公演されるようになり、日本を代表する芸能文化として各国で好評を得ました。また昭和39(1964)年10月、日本で初めて開催された東京五輪の際には、訪日外国人に向け「ナイト・カブキ」が通常の興行とは別に行われ、専用の英語プログラムもつくられました。

 これまでの歌舞伎座では、歌舞伎公演以外にも新派やSKD(松竹歌劇団)、三波春夫や大川橋蔵などによる公演が行われていました。やがて元号が昭和から平成に変わり、平成2(1990)年には31年ぶりに8月の「納涼歌舞伎」が復活したことから、12カ月を通して歌舞伎興行が行われるようになりました。また、平成5(1993)年からは「納涼歌舞伎」が三部制興行となり、歌舞伎をより気軽に楽しめる興行として現在でも恒例となっています。
 上演される作品は、古典や新歌舞伎といったこれまでの伝統を受け継ぐ演目に加え、野田秀樹作・演出『野田版 研辰の討たれ』や蜷川幸雄演出『NINAGAWA十二夜』などといった意欲的な“新作歌舞伎”が次々と生み出されました。このように歌舞伎は、古典の継承とともに、時代に合わせ進化を続けています。

第四期の筋書を飾る多彩な顔ぶれ

 ここからは、第四期の筋書を見ていきましょう。

 戦後の復興とともに印刷技術も発展し、筋書にも変化が現れます。戦前まではA5判程度の大きさでしたが、第四期以降はB5判になり、ページ数も増えました。また、初期は巻頭のスチール写真や舞台写真のみがカラーページでしたが、次第に本文にもカラーページが入るようになっていきます。

 この記事では、第四期の筋書の表紙や巻頭の扉ページを取り上げています。記事中では、表紙に浮世絵を用いたものの他、日本画家の奥村()(ぎゅう)や片岡球子(たまこ)らによる表紙を紹介しています。この他にも、松林桂月(けいげつ)や川合玉堂(ぎょくどう)など当時日本画壇の第一線で活躍していた画家の描き下ろし作品が多く使用されていました。また、前田青邨(せいそん)や江崎孝坪(こうへい)、東山(かい)()などは、筋書表紙だけでなく舞台美術や衣裳デザインも手がけました。

 扉ページには、演目の絵看板や出演俳優の役写真だけでなく、著名人による俳句・俳画が掲載されていた時期もありました。なかでも、記事左下(赤丸印)の水原(しゅう)櫻子(おうし)の芝居俳句は、昭和43(1968)年1月から秋櫻子が亡くなる直前の昭和56(1981)年6月まで10年以上筋書の巻頭に花を添えました。

 

 第四期歌舞伎座以降の筋書では、演目のあらすじやみどころだけでなく、読み物としてさまざまな特集や連載が組まれるようになります。それまでも、各演目についてのコラムや、襲名興行の特集寄稿はありましたが、これらに加えて著名な作家や評論家、研究者により多様な角度から歌舞伎にフォーカスした連載が始まります。歌舞伎の雑学や決まりごとなどの周辺知識を知ることでより舞台を面白く観ることができる、そんな企画が多く見られるようになりました。

 この記事の中段では、過去の特集の一部を紹介しています。このように幕や刀などの大道具・小道具や、狂言作者のように劇場の裏方として働く方たちの特集では、道具に秘められたこだわりや、表からは見えない仕事、役割などを知ることができ、そこに息づく江戸時代からの伝統を垣間見ることができます。他にも俳優の芸談や、芝居にゆかりある土地の探訪、干支の動物にまつわる演目の特集など、さまざまな記事が誌面を賑わせました。

 また、昭和28年以降、毎年1月の筋書巻末には、前年1年間の公演記録がまとめられた「興行年表」が掲載されています(緑丸印)。月ごとの演目や配役だけでなく、行事や褒賞、慶弔等も併載されており、資料としても興味深いページです。

 長きにわたり愛された第四期歌舞伎座も、年月の経過による老朽化にはえず、平成22(2010)年4月の公演をもって閉場となります。閉場までの興行を「歌舞伎座さよなら公演」と銘打ち、平成21(2009)年1月から16カ月にわたり御名残興行が行われました。第四期歌舞伎座の掉尾を飾るのにふさわしい演目、配役によって上演され、総動員数は延べ168万人という大記録を打ち立てました。

 「さよなら公演」の筋書の表紙は、歌舞伎座で所有している絵画作品のなかから16点を選び、「歌舞伎座所蔵絵画名作選」としてご紹介しました(青丸印)。表紙になった作品の一部は、現在も歌舞伎座の劇場内に展示されていますので、ご来場の際にはぜひご鑑賞ください。
※作品は随時入替展示をしています

第五期の幕開け

 第四期歌舞伎座閉場から約3年。第五期歌舞伎座が平成25(2013)年2月に竣工、3月には2日間にわたり開場式を執り行い、4月に初興行の幕を開けました。そして翌平成26(2014)年3月までの1年間を「歌舞伎座新開場杮葺落」公演として、大顔合わせの通し狂言や花形俳優による新作歌舞伎などを上演し、華々しくスタートしました。

 第五期歌舞伎座は、前期の歌舞伎座の雰囲気を残しながらも、場内にエレベーターとエスカレーターが設置され、客席の間隔が広がり、また視界を遮っていた1階後方の柱が撤去されるなど、より快適にご観劇いただける劇場に生まれ変わりました。柿葺落公演期間には、筋書でも建設中の様子や新しくなった場内案内の特集を組んだり、巻頭扉ページで劇場正面や櫓、花道など劇場内外の象徴的な場所の写真を掲載するなど、新しい歌舞伎座の幕開けを紹介しました。

 平成30年には、歌舞伎座は明治22(1889)年の開場から130年という一つの節目を迎えました。3月~12月の筋書では、その記念としてお客様に応募いただいた歌舞伎座での思い出エピソードを掲載しました。

新開場当時の筋書
右は平成25(2013)年5月表紙絵(揮毫:上村淳之氏)。左は柿葺落公演中に連載された筋書巻頭扉ページ(一部)。鳳凰丸の軒丸瓦や舞台上から見た客席など、このページでしか見ることのできない景色も楽しめる。

 そして翌年5月、元号が令和に改められました。明治、大正、昭和、平成を経て、さらに令和という時代を迎えた歌舞伎座は、これからも新しい歴史を歩み続け、筋書もともにその歩みを刻んでいきます。

 過去の筋書は松竹大谷図書館に収蔵されていますので、ご興味のある方はぜひ足をお運びください(新型コロナウイルス感染症対策により、来館・閲覧には事前予約が必要です。詳細はこちらをご覧ください/令和2年11月現在)。