歌舞伎いろは

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歌舞伎座「八月納涼歌舞伎」『権三と助十』
今度の舞台を楽しく見るために

ようこそ歌舞伎へ 坂東彌十郎

黙阿弥とは違う岡本綺堂の生世話物

 ――岡本綺堂作の新歌舞伎『権三と助十』で、家主六郎兵衛を勤められます。

 「納涼歌舞伎」では平成7(1995)年に(十八世中村)勘三郎さんと(十世坂東)三津五郎さんで上演されていますが、その頃の私は澤瀉屋さん(市川猿翁)の一座におりました。ですから、覚えているのは父(初世坂東好太郎、昭和46年9月歌舞伎座)や高麗屋のおじさん(初世松本白鸚、昭和54年3月歌舞伎座)の六郎兵衛です。

 ――幸四郎さんや三津五郎さんの『髪結新三』(河竹黙阿弥作)で家主の長兵衛をなさっていますが、『権三と助十』の六郎兵衛は初役ですね。

 最近、家主を演じる機会が増えました。今回、あらためて『権三と助十』の台本を読んで感じたのは、庶民が主役の生世話物ではありますが、作者が新歌舞伎の綺堂だということです。時代設定と主役こそ異なりますが、同じ作者の『小栗栖の長兵衛』につながると思いました。

 ――どこに共通点を感じられましたか。

 つくり方が、それ以前の、河竹黙阿弥作品などとは異なります。せりふは少なくても、登場人物それぞれに個性があります。今回の『権三の助十』の長屋の住人である願人坊主や猿廻しにしても、人物設定や性格付けが細かくできています。

 関わり合いを恐れて素知らぬふりをしようとする。それが誉められるのだとわかると、途端に「それは俺がやりました」と主張しだす。態度がころころと変わる――。『小栗栖の長兵衛』にもそういう場面があります。群集心理が描かれています。そういうところをちょっと皮肉っているんでしょうね。

『権三と助十』(ごんざとすけじゅう)

 江戸は神田橋本町の裏長屋。住人総出の井戸替えに出てこない駕籠かきの権三と、連れ出しに来た相棒の助十、弟の助八の喧嘩が始まりました。家主の六郎兵衛が仲裁に入り、ようようおさめたところへやって来たのは小間物屋の彦三郎。この長屋にいた父、彦兵衛の無実の罪を晴らしたいと訴える彦三郎に、事情を話す六郎兵衛でしたが、権三と助十の二人がなにやら言いたげな様子に気付きます。二人を問いただし、彦兵衛の潔白を証明するための一計をめぐらす六郎兵衛…。

 ひと月が過ぎ、奉行所からお預けの身として長屋に戻ってきた権三と助十のもとに、二人の証言で牢に入ったはずの左官の勘太郎が訪ねてきました。世話になったと角樽を差し出す嫌味な態度に、助八が切れて喧嘩になり、住人たちも一緒になっての大騒動。ようやく事が収まったところに現れた六郎兵衛は、権三と助十も驚く話を始めました。

江戸の長屋の風情が伝わるように

 ――その中で六郎兵衛は、どんな存在でしょう。

 長屋の人たちから、いい人とさんざん言われています。なんとか皆をよくしてやろうと思っている。そして、大岡越前守ともきちんと話ができる大家さんです。『髪結新三』の長兵衛とはタイプが違います。あちらは、ずる賢いでしょう。どちらも江戸の風情が見えないといけないし、大岡越前守に関わる「大岡政談」物ではありますが、せりふがまったく違います。

 それにしてもよくしゃべります。うちの親父はせりふが覚えにくかったようで、間違えて、皆さんにお詫びの「とちり蕎麦」を出していたことを覚えています。権三が(十四世守田)勘弥のおじさん、助十が紀尾井町のおじさん(二世尾上松緑)でしたので、いい雰囲気で楽しみながらやっていらっしゃったから、親父がちょっと間違えると喜んで突っ込んでおられました。そこは親父を継がないようにしないと。

 ――どんな点に気を付けてお勤めになられますか。

 芝居に江戸の長屋の雰囲気が出ていないと面白くない。最初に井戸替えの場面がありますが、当時の一大イベントだったのでしょう。長屋の住人が総出でやる。その風情が伝わればいいと思います。そして、岡本綺堂を意識してみようかなとは思っています。

 六郎兵衛のせりふに「当年六十歳」とあります。私も今年ちょうど60歳の還暦です。今の60歳と当時の60歳とは感覚が違うでしょうが、そういう気持ちで勤めます。

※澤瀉屋の「瀉」のつくりは、正しくは"わかんむり"です。

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