「マハーバーラタ」が身近である人々の日常を、オールドデリーの街で。早朝にもかかわらず、礼拝に行く多くの人々に出会いました。
オールドデリーのヒンドゥー教の寺院。花や聖水を捧げる人、体を伏して祈る人…、皆が熱心に神様に祈りを捧げ、信仰が身近である日常を目の当たりに。
寺院には、菊之助が『マハーバーラタ戦記』で演じるシヴァ神の壁画を前にシヴァ神についての説明を受け、役づくりのイメージを膨らませます。
ハリドワールのガンジス川沿いには、人々を見守るように大きなシヴァ神の像が立っていました。その像の大きさに圧倒されます。
初めて聖なる川に触れました。「マハーバーラタ」でカルナは生まれて後、このガンジス川に流されます。特別な思いが込み上げてきた一瞬です。
ハリドワールのマーケットで、牛と遭遇。牛はシヴァ神の乗り物、インドでは聖なる動物です。人々と同じく堂々と生活しています。
ハリドワールで最も賑わう場所ハリキ・ポリ。ガンジス川で神々に捧げるお祈りを習いました。
聖なる水、火、花などを使って神に祈りを捧げます。
ハリドワールで夜のお祈り「アールティ」を見学しました。聖なる火をかざし、鐘を鳴らして神を称える歌を唱えます。人の多さと熱気に圧倒されます。
毎日、日没から行われている「アールティ」。1時間以上前から人々が集まり、まるでお祭りのよう。この日は特別な新月の夜、いっそうの賑わいでした。
お祈りを習った際にいただいた花輪を、ガンジス川に流しました。暗くなっても多くの人が沐浴をしています。
「アールティ」見学後、マーケットで目に留まった神像屋さんに立ち寄りました。シヴァ神、クリシュナ卿、ガネーシャ、たくさんの神の姿がありました。
尾上菊之助がインドへと旅立ったのは2017年8月19日の夕方。インドの首都デリーにあるインディラ・ガンディー空港に降り立ったのは8時間後のことだった。
「来る前はインドに対してどこか近寄り難いイメージがあったのですが、実際に訪れてみるとそうではなく意外に近い。感覚的に遠いと思い込んでいたのかもしれません」。
20日、ニューデリーの日本大使館で行われた文化交流イベント「日本・インド伝統芸能の夕べ」で、菊之助が披露した舞踊は地唄舞『鐘ヶ岬』。インドで歌舞伎が上演されるのは40年ぶり、1977年以来のことだ。
「40歳になった自分へのメッセージを受け取ったような気がします」。
'77年は菊之助が生まれた年でもあるのだ。
大使館で同時に上演されたのはインド南部ケララ州の舞踊劇「カタカリ」。かつてその演者は男性に限られていたという。
奇抜な化粧や色鮮やかな衣裳で身振り手振り、目の動きなどで物語や感情を表現する芸能に触れた菊之助。その心に湧き上がったのは、「もしかしたら歌舞伎のルーツはカタカリにあるのではないか…」という思い。そして「歌舞伎が両国文化交流の架け橋を担うことができたら」という願いは、より強固なものになったという。
21日。菊之助がまず向かった先はオールドデリーにあるヒンドゥー教の寺院だ。そこで出会ったのは『マハーバーラタ戦記』で演じるシヴァ神の壁画と像である。
「壁画に描かれたシヴァ神は思いのほか大きく、像はとても小さなものでした。きっと物体ではなく、存在が心とつながっているのでしょう」。
次に訪れたのはハリドワール。ヒンドゥー教の聖地であり、菊之助が演じるもう一役カルナが、生を受けて間もなく流されるガンジス川のほとりに位置するところだ。そこで菊之助は沐浴する人々の姿を目の当たりにする。
「雄大なガンジス川で祈っている方々は、沐浴によって神とつながろうとしている…。そんな印象を受けました。ガンジス川は感謝を捧げ、罪の穢れを洗い流してくれる存在。人間は自然を通して神と密接につながっていて、神は遠い存在ではないのだと思いました」。
その夜は日没後に行われるお祈り「アールティ」を見学することに。
22日は早朝4時にホテルを出発。ガンジス川上流にあるリシケシでスチール撮影をするためである。原風景ともいうべき自然が残るその場所に、迦楼奈(カルナ)として姿を現した菊之助の身を包んでいるのは金色の鎧だ。
「原作でもカルナは金の鎧を着ています」。
白塗りの顔の眉間には赤い印がくっきりと描かれている。ヒンドゥー教を信仰する者の証「ティラカ」である。
「ガンジス川で歌舞伎の拵えがどう映るのか、ここに来るまでは不安でした。ですが、このティラカと現地で手に入れた弓とが、双方を結びつけてくれたように思います。インドに来なければ、触れることのできない景色と空気感のなかで、カルナとしてガンジス川の岩場に立つことができ、『マハーバーラタ』の世界をより身近に感じることができました」。
戦いをやめさせるべく使命を全うするカルナ。そして今、菊之助に課せられた使命は新作歌舞伎『マハーバーラタ戦記』を完成させること。
聖なるガンジスの恩恵を受け、その決意も新たに菊之助は翌日に帰国した。
取材・文=清水まり(本文) 撮影=加藤 孝