――神様の世界と人間界を描く物語。いったいどんな衣裳になるのでしょう。
神々が登場する幕開きは、(これまでの歌舞伎と)印象が全然違う、というのをやりたかったのですが、偶然にも(演出の)宮城さんもそういうビジョンを持っていました。ベースはインドの伝統舞踊「カタカリ」にインスパイアされました。インドを40%、日本60%と最初はイメージの確認作業をしていたのですが、そんな数値で測るのではしっくりこなくて。
インドの神が日本に渡ってくるまでの変遷で、ちょうどいいところを探り、とにかく歌舞伎座の舞台に立つにはと、探っていきました。形はインド風ですが、ほぼ歌舞伎の生地を使った衣裳になっています。神様によっては、日本の仏像から形象をとったりもしています。
――戦の場面の衣裳は、五王子と百人兄弟でかなり印象が違うようです。
家が違うことをはっきりさせるため、色合いを違えています。その違いを、「土」が違う感じで出したいというのがありました。インドでは土が違えば建物の色も違う。その感じです。一方、迦楼奈(カルナ)は神から遣わされた子で、金襴生地を貼り込み、かなり神の衣裳に近くなっています。
五王子とカルナの衣裳にはそれぞれ、父の神をシンボライズしたものが入っています。迦楼奈(カルナ)は太陽神で太陽、納倉(ナクラ)と沙羽出葉(サハデバ)は農耕神で四つ鎌という具合です。百合守良(ユリシュラ)はダルマ神の子ですが、サンスクリット語の先生から、叡智をつかさどる車輪がいいと教えていただきました。五王子は菊之助さんもおっしゃっているように、『白浪五人男』にイメージが被るところがありますので、稲瀬川勢揃いのような紫っぽい色味でそろえています。
インドらしい鎧だと体にフィットした感じですが、歌舞伎では大きく美しく、たくましく見えるほうが舞台映えします。タイトな衣裳では様式に合わない部分もあったので、歌舞伎のボリュームに合うようにつくっています。
――「マハーバーラタ」と歌舞伎、二つの要素はどのように絡み合っているのでしょう。
「マハーバーラタ」はインドの人がとてつもなく長い年月、読み継いできたもので、ただならぬ熱量がある。でも、歌舞伎の熱量もすさまじいものがある。二つの熱量のあるものをどう表現すべきか、大事にしないといけないと心しています。
インドが好きで観にいらっしゃる方に、がっかりされたらどうしようとも思ったのですが、表面的にインドを表現しても納得されないのではないか、むしろ、日本の格好をしていても、インドのスピリットがあることが大切なのではと思いました。
――衣裳を考えるなかで大切になさってきたことは。
私は20代の頃からなにかというと、歌舞伎の衣裳を見て参考にしてきました。これまで客席側にいた立場として、ほかの劇場でも見られるじゃないか、というのはいやでした。歌舞伎座に見に来てよかったと、予想を裏切り、期待に応えたい。
歌舞伎座は、歌舞伎座でしか見られないものに限る特別な場所。歌舞伎座じゃなくても見られる衣裳は舞台に乗せられない。歌舞伎座の持っている歴史、積み重ねを大切にしたうえで、さらに私たちはこれまでに見たことのないもの、イメージを覆すものを舞台に乗せる作業をしなければいけない、そこからスタートした衣裳です。
撮影=松竹写真室