歌舞伎座「芸術祭十月大歌舞伎」 平成29年度(第72回)文化庁芸術祭参加公演  日印友好交流年記念
新作歌舞伎 極付印度伝 マハーバーラタ戦記

稽古場日記 後篇

稽古場日記 後篇

取材・文=清水まり

幕開き、神々が居並ぶ様子。初めて衣裳をつけて舞台に。演じる神々の皆様も笑みがこぼれます。 演出の宮城聰と打ち合わせる菊之助。真剣な表情で細かく打ち合わせ。 武芸大会の場面、お互いの動きを確認する五王子たち。 同じく武芸大会、演出家と道具の打ち合わせ。 その頃、ロビーでは神々の衣裳のメンテナンスの真っ最中。

 10月1日の初日以来、『マハーバーラタ戦記』の舞台の様子はさまざまなメディアを通して伝えられています。ここでは、それらを踏まえつつ、ほんの少しだけ、見学させていただいた舞台稽古の様子を紹介していくことといたします。

 それは、稽古の場所を歌舞伎座の舞台に移した最初の日のことでした。開始予定時間より少し早く劇場に着くと、ロビーでは衣裳制作スタッフがなにやら準備の真っ最中。装置が飾られた舞台で照明を当てたときの見え方や、俳優が実際に着て動いてみての不具合などを調整し、よりよい状態に近づけるための最終仕上げを行っている、といったところでしょうか。

 扉を開けて客席に入ると、舞台には金色の衣裳に身を包んだ“神々”の姿が! なにやら話している様子で、その議題は「人間たちの争い」ではなく「舞台での居どころ」などの模様。

 稽古開始。定式幕が開き、『仮名手本忠臣蔵』の「大序」のごとく“人形身”となった神々たちが現れたときのワクワク感といったら! これから壮大な物語が始まるのです。

 「序幕 第一場 神々の場所」をひと通り最後まで通すと、一度閉まった幕が開きました。インドの伝統舞踊カタカリを思わせるようなフォルムの衣裳に身を包んだ“神々”たちは、それぞれの定位置や隣との間隔を確認したり衣裳や小道具のバランスをチェックしたりしています。

 すると「槍が長いのでは?」という意見が。演出の宮城氏が長さをチェックし、それぞれを適正な長さにカットすることに。

 「第二場 ガンジスの川岸」の準備が始まると、何人かのスタッフが舞台に集まっていきました。本舞台のせりが開いていて、傍らには小さな厨子が。生まれたばかりの迦楼奈(カルナ)は、この中に入れられてガンジス川に流されるというわけです。

 川を流れる厨子の動線や動きを入念に打ち合わせている様子。こうしたことはいくら稽古場で相談したところで、客席からの見え方は実際にやってみなければわかりません。上演中の時間にすればわずかな、そのシーンのために粛々と立ち働いている姿に、客席で目にする1分1秒の尊さを実感。

 「第三場 迦楼奈の家」に迦楼奈(カルナ)の扮装で登場した菊之助さんは、暴れ馬とのやりとりなどを確認。その出番が終わると客席へ姿を現しました。そしてやや上手の1階席後ろのほうで「第四場 五王子の宮殿」をスタッフとともに見守り始めました。

 ここも「第一場 神々の場所」同様に、まずは王子たちの最初の居どころを調整。出演者同士、演出の宮城氏、それから客席で見ていた菊之助さん、それぞれが意見や指示を出し合って、芝居の流れを大幅に止めることなく進んでいきます。気になるところを自主的に確認し合い、即座にそれを消化していく様子が見事です。

 宮殿の中央、一段高いところにあった立派な椅子は必要か否か、が話題となりました。それはパーンドウ王の死去を物語る、誰も腰かけることのなくなった玉座。

 試しに椅子を下げてみます。中央に据えられていたあれだけ立派な椅子が急になくなったばかりだというのに、さほど違和感はありません。歌舞伎俳優の身体から発する存在感が空間を埋めてしまっているのです。玉座の存在は、観客に状況を知らせる上で理屈としては親切だけれど、理屈を超えたおおらかさで魅せてしまうのが歌舞伎。宮城氏も納得の表情を見せています。

 「第六場 競技場」では、両花道を設えた歌舞伎座の空間の広がりが、屋外での弓の試合という設定に存分に活かされます。そしてこの場面では、数日前に楽屋内の稽古場で目にした光景が、そのときの驚きとともに甦ってきました。

 その驚きとは、迦楼奈(カルナ)や阿龍樹雷(アルジュラ)によって放たれた矢の行方を追う、稽古場にいた登場人物たちの視線の先がほぼ一致していたことです。物語の設定に則して、歌舞伎座という劇場空間を想定して、矢はどう飛んでいくのがあるべき形なのかをそれぞれが思い描いたら、同じだったということ⁉

 きっとそれは、歌舞伎俳優にとって歌舞伎座というホームグラウンドの空間が、彼ら一人ひとりの身体のなかに感覚としてしっかりと入っている、ということなのでしょう。そう感じさせられたのは何もその場面に限ったことでなく、舞台上での何気ないやりとりを見ているときにも多々ありました。

 またひとつ、歌舞伎という演劇が内包する、とてつもない一面を垣間見せられた気がします。

 こうした稽古を重ねて初日を迎えた『マハーバーラタ戦記』。日々の公演が進んでいくなかで、まだまだ熟成を続けていることでしょう。

撮影=加藤 孝