ニュース

秀太郎が重要無形文化財保持者各個認定(人間国宝)の喜びを語る

秀太郎が重要無形文化財保持者各個認定(人間国宝)の喜びを語る

 7月19日(金)、片岡秀太郎が重要無形文化財「歌舞伎脇役」保持者の各個認定(人間国宝)を受けることが発表され、大阪松竹座「関西・歌舞伎を愛する会 結成四十周年記念 七月大歌舞伎」出演中の秀太郎が取材に答えました。

感謝と喜びを胸に

 「本当に思いがけないこと、寝耳に水で喜んでおります」と、いつもながらの柔らかな物腰で語り始めた秀太郎。「これも皆様のおかげ。ありがとうございます」と、厚い感謝の意を表しました。「私事ですが、(発表された)7月19日は、亡くなった母親の祥月命日なんです」。認定の知らせを受け、秀太郎が人間国宝になることを望んでいた母親への思いがこみ上げたといいます。

 

 5歳で初舞台を踏んだ頃のことを、「当時名子役と言われまして(笑)」と思い返し、「名子役は大人になったらだめになるというジンクスがあると子ども心に聞き、なんとかいい役者として残りたいと思っていた」と明かしました。「最近は脇に回っておりますが、舞台を観たお客様が少しでも喜んでくだされば、それが私の今の生き方ではないかと考えていました。そこに、このお知らせをいただきましたので、感無量でした。間違っていなかったと思っております」と、感慨もひとしおです。

 

先輩方、そして父との思い出 

 「若い頃には、友右衛門のお兄様(四世中村雀右衛門)に手取り足取り、女方の基礎を教えていただきました」。関西での歌舞伎公演が少なかった時期は、「扇雀兄さん(現 坂田藤十郎)にご指導いただきながら、『河庄』の小春など、近松座でお相手を勤めさせていただいたことも、非常に大きな思い出、感謝として残っています」。ほかにも多くの先輩方にたくさんのことを教えていただいたと振り返ります。

 

 父の十三世仁左衛門からは、「お膳を囲んで皆で食事をするときに、手をこうすると『四の切』の狐の手になるよ、とか。幽霊とお化けのやり方の違いとか」、ほかにも声色や息遣いなど、日常の会話のなかで伝えられたと懐かしみました。

 

秀太郎が重要無形文化財保持者各個認定(人間国宝)の喜びを語る

移りゆく時代のなかで 

 記憶にある名優たちの芝居は「素晴らしかった。でもそのままの芝居をやっても、果たして今のお客様が喜んでくださるかが問題。それを念頭において大切にしながら新しい人を育て、継承していくことが大事」という言葉から、後進の育成への真摯な姿勢がうかがえます。「若い人たちがどんどん育っている。この人たちに頑張ってもらいたい。そのためには私も引退しないで、やっぱり脇に出て。出ていれば舞台で注意できる。僭越ですけれども、大きな役を勤めさせていただいた経験を活かして、今の若い方々を守り育てたい」。

 

 いま一度、「私は生活のなかで芝居を教えられました」と語り、そばで伝えていくことの大切さをかみしめます。今月、出演している大阪松竹座でも、「若い皆さんがいろいろ聞きに来てくれる。それがうれしい。皆とコミュニケーションを深めていけるので、私は(楽屋の)相部屋好みです」。そう語って微笑む姿から、歌舞伎の明日を見守っていきたいという温かい思いが伝わってきました。

 現在、歌舞伎脇役としての人間国宝は、澤村田之助(平成14年認定)、中村東蔵(同28年)に続き、秀太郎が3人目。このほか、歌舞伎立役の坂田藤十郎(同6年認定時は三代目中村鴈治郎)、尾上菊五郎(同15年)、中村吉右衛門(同23年)、片岡仁左衛門(同27年)、歌舞伎女方の坂東玉三郎(同24年)の計8人が、歌舞伎界での人間国宝となります。

2019/07/22