大阪松竹座
壽初春大歌舞伎
通し狂言 仮名手本忠臣蔵
平成22年1月2日(土)~26日(火)
寛延元年(一七四八)八月に初演され、上演すれば必ず大入りになることから〝芝居の独参湯(どくじんとう)〟と呼ばれる『仮名手本忠臣蔵』は、『義経千本桜』『菅原伝授手習鑑』と共に歌舞伎の三大名作に数えられます。
東西の違いがよく表れた作品と言われますが、今回は上方ゆかりの俳優陣による上方演出の 『仮名手本忠臣蔵』をたっぷりとご堪能頂けるまたとない機会です。
昼の部(午前十一時開演)
【大序】鶴ヶ岡八幡宮に参詣する足利直義(進之介)を桃井若狭之助(翫雀)と塩冶判官(えんやはんがん)(扇雀)ら御馳走役が迎えます。
それを補佐する高師直(こうのもろのう)(藤十郎)は、判官の妻で美貌の顔世御前(孝太郎)に恋文を渡して言い寄るところを若狭之助に遮られ、その腹いせに若狭之助を散々に侮辱。思わず刀を手にした若狭之助でしたが思い留まります。
「口上人形」に始まる儀式的演出と、上方独特の「大手・笹瀬」の引割幕などにより、『忠臣蔵』の世界へ誘う荘厳な一幕です。
【三段目】
恥辱を晴らすため師直を斬る覚悟の若狭之助ですが、それを知った桃井家の家老加古川本蔵は、師直に賄賂を渡します。そのため師直の態度は一変、代わって怒りの矛先は塩冶判官に向かいます。あまりの屈辱に耐え兼ねた判官は、ついに師直を斬りつけますが、本蔵に抱き留められ浅傷を負わせるに止まります。
刃傷に至るまでの高師直と塩冶判官のやりとりが見どころです。
【四段目】
殿中での刃傷という大罪により蟄居を命じられた塩冶判官の元に、上使の石堂右馬之丞(我當)と薬師寺次郎左衛門(薪車)が訪れ、判官の切腹とお家断絶、所領没収という上意を伝えます。
覚悟していた判官は切腹の座に着き、家老の大星由良之助(藤十郎)の到着を今か今かと待ち望みつつ、刀を腹に突き立てます。まさにその時由良之助が到着、最期の対面を果たした主従は目と目で心の内を確認し合います。血気に逸り幕府の討手と戦おうとする嫡男力弥(壱太郎)ら諸士達を鎮めた由良之助は、主君の仇討ちを決意し、原郷右衛門らと共に館を後にするのでした。
厳粛な雰囲気に満ちた塩冶判官切腹の場、万感の思いで遠ざかる城門を見つめる由良之助の引っ込みなど、屈指の名場面が続きます。
【五段目】
恋人のおかるとの逢瀬を楽しんでいて、お家の一大事に駈け付けつけられず自責の念に苛まれる早野勘平(藤十郎)。今は猟師となっていますが、かつての同僚だった千崎弥五郎(薪車)と出会い、仇討資金の工面を約束します。一方おかるの父与市兵衛は、おかるを祇園に売ることでその資金を調達、前金五十両を懐に帰路に着きますが、山崎街道で斧定九郎(翫雀)に襲われて金と命を奪われます。
その定九郎も、猪と間違えた勘平の鉄砲であえなく絶命。人を撃ったことに勘平は慌てますが、懐の五十両を着服して逃げ去ります。
悪の魅力を見せる定九郎と、不運な誤解から罪を重ねる勘平。ほぼ無言のなか心象を表現する巧みな演出が見ものです。
【六段目】
翌朝、勘平の女房おかる(秀太郎)を連れに来た祇園の一文字屋お才(孝太郎)の話から、勘平は自分が舅の与市兵衛を殺したものと思い込みます。動揺しながらもおかるを見送った後、おかるの母おかや(竹三郎)や、来訪した同志の原と千崎に非道を責められた勘平は、山崎街道での出来事を吐露し、腹に刀を突き刺します。
しかし、与市兵衛の疵からその疑いはすぐに晴れ、勘平が殺めたのは実は舅の仇であったことが判明します。仇討ちの連判状に名を連ねることを許された勘平は、安堵の中、息絶えるのでした。
『忠臣蔵』の中でも東西の演出様式の違いが最も表れていると言われるのがこの場面です。「色にふけったばかりに」などの名台詞で描かれた勘平の悲哀を、写実を重んじる上方演出でご堪能頂きます。
夜の部(午後四時三十分開演)
【七段目】世を欺く為に祇園で遊興にふける由良之助のもとへ、力弥が顔世御前からの密書を届けに来ます。その書状を読むところ、遊女となったおかるが二階から、師直に内通する斧九太夫が床下から盗み読みます。覗かれたことを知った由良之助はおかるの身請けを言い出しますが、おかるの兄で足軽の寺岡平右衛門(翫雀)は、身請けは偽りで由良之助の真の狙いはおかるの始末だと悟り、代わりに自ら妹を手にかけようとします。これを押し止めた由良之助は、おかるの手を借り床下の九太夫を刺し、勘平の仇を討たせ、平右衛門を仇討ちの連判に加えるのでした。
真意を隠しながら遊興にふける由良之助の姿は、演者に技量が求められる難役。京都祇園を舞台に華やかな雰囲気で展開します。
【八段目】
刃傷事件により塩冶家が取り潰しとなり、許嫁であった大星力弥と加古川本蔵の娘小浪(扇雀)の婚礼は立ち消えとなっていました。しかし力弥を慕って諦めようとしない小浪の様子を見た母の戸無瀬(藤十郎)は、娘の思いを成就させようと、山科の大星家を訪ねるため、母娘二人で東海道を下って行きます。
なさぬ仲の戸無瀬と小浪の道行を東海道の名所を背景に描いた常磐津舞踊で、 奴可内(翫雀)とのやり取りも見どころです。
【十段目】
由良之助より討入りのための武具調達を依頼された、泉州堺の商人天川屋義平(我當)はその秘密を守るため、女房のおその(吉弥)を実家に帰し、幼い子と丁稚との三人だけで暮らしています。そこに現れた捕方に武具を調達したことを詰問されますが、義平は口を割りません。
実はこれらの捕方は、義平の心を試すための塩冶家の家臣たち。我が子をも犠牲にするほどの覚悟を見せる義平の心意気と、町人ゆえ仇討ちに加われない義平の無念さを痛感した由良之助は、討ち入る際の合言葉を天と川にします。
「天野屋利兵衛は男でござる」の名台詞で有名な天野屋利兵衛がここでは天川屋義平として登場します。この場が上演されるのは、大阪での通し狂言では久方ぶりとなります。
【十一段目】
十二月十四日。雪の降りしきる中、由良之助に率いられた塩冶の浪士たちは高家の屋敷に討ち入ります。浪士たちの奮戦と懸命な探索の末、潜んでいた師直を見つけ出し、ついに本懐を遂げるのでした。
浪士たちが揃いの装束に身を包んで居並ぶ姿や、勝鬨を上げる様子など、壮大な物語を締めくくり、大団円になります。
