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六月博多座大歌舞伎

料金(税込)

  • A席18,000円
  • 特B席15,000円
  • B席12,000円
  • C席5,000円

【一幕見券のご案内】

上演時間

  • 矢の根

  • 幕間 30分
  • 加賀鳶

  • 幕間 20分
  • 身替座禅

  • 仮名手本忠臣蔵
    七段目 祇園一力茶屋の場

  • 幕間 30分
  • 英執着獅子

  • 幕間 20分
  • 魚屋宗五郎

演目と配役

昼の部

一、歌舞伎十八番の内 矢の根(やのね)
曽我五郎
曽我十郎
馬士畑右衛門
大薩摩主膳太夫

寿
亀三郎

盲長屋梅加賀鳶

二、加賀鳶(かがとび)

本郷木戸前勢揃いより

赤門捕物まで

天神町梅吉/竹垣道玄
女按摩お兼
春木町巳之助
魁勇次
虎屋竹五郎
盤石石松
数珠玉房吉
御守殿門次
昼ッ子尾之吉
お朝
伊勢屋与兵衛
妻恋音吉
天狗杉松
道玄女房おせつ
御神輿弥太郎
雷五郎次
日蔭町松蔵
幸四郎
秀太郎


男女蔵
亀三郎
寿

尾上右近
宗之助

高麗蔵
権十郎
萬次郎

左團次

三、新古演劇十種の内 身替座禅(みがわりざぜん)
山蔭右京
太郎冠者
侍女千枝
侍女小枝
奥方玉の井
菊五郎


尾上右近
左團次

夜の部

一、仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)

七段目 祇園一力茶屋の場

大星由良之助
遊女おかる
赤垣源蔵
富森助右衛門
矢間重太郎
斧九太夫
大星力弥
寺岡平右衛門
幸四郎


男女蔵
亀三郎

高麗蔵

二、英執着獅子(はなぶさしゅうじゃくじし)
姫後に獅子の精
小姓

女小姓

藤十郎
寿

宗之助
尾上右近

新皿屋舗月雨暈

三、魚屋宗五郎(さかなやそうごろう)
魚屋宗五郎
女房おはま
磯部主計之助
小奴三吉
召使おなぎ
父太兵衛
浦戸十左衛門
菊五郎


権十郎
萬次郎

左團次

みどころ

昼の部

一、歌舞伎十八番の内 矢の根(やのね)

  歌舞伎十八番の一つです。享保14年(1729)正月に江戸中村座で上演した「扇恵方曽我」の中で二代目市川團十郎が演じたのが始まりで、5月まで続演する大当たりを記録、座元は蔵を立てたそうです。素材になったのは幸若舞や浄瑠璃で語られた「和田酒盛」です。典型的な荒事で、 車鬢に筋隈、黒繻子揚羽蝶の衣裳に仁王襷を掛けた曽我五郎が大薩摩の語りに乗って豪快な荒事の芸を見せます。動く錦絵のように様式美を見せる華やかな一幕です。
 市松模様の障子を上げると矢屏風の前の櫓炬燵に腰を掛けた五郎が矢の根を研いでいます。五月人形のような姿です。すぐに大薩摩と掛け合いで七福神をこき降ろす台詞を言いますが、言葉による悪霊鎮めで洒落っ気に溢れています。そこへ大薩摩の太夫が年始の挨拶に来て扇と宝船の絵を差し出します。五郎は砥石の下に絵を敷いて「ヤットコトッチャウントコナ」と声を掛けて背ギバで大の字になって仰向けで寝ます。荒事の技巧を見せる場面です。そこへ上手から兄十郎の幻影が夢枕に立ち身の危険を告げます。夢から醒めた五郎は勇み立ち「西は鎮西鬼界ヶ島」の柱巻の見得をはじめ四方を向いて見得をし、平舞台へ飛び降ります。その後、大太刀を取り、階段に足を落として元禄見得をします。豪快な見せ場です。五郎は来かかった馬子から馬を奪い、大根を鞭に見立てたユーモラスな見得をします。

二、加賀鳶(かがとび)

 河竹黙阿弥が五代目尾上菊五郎のために書き下ろした世話物で、明治19年(1886)に東京千歳座で初演しました。原作は加賀鳶と町火消しとの喧嘩と按摩の道玄の悪事を並行して描いた7幕の長編で、五代目菊五郎は梅吉、道玄のほか家の芸である死神の3役を演じたのですが、現在では冒頭で加賀鳶の勢揃いを見せた後、 道玄の悪の顛末を描いていく構成にしています。加賀鳶とは加賀前田家専属の火消しのことで、鉞という独特の刷毛先で稲妻模様の着付が特色でした。「木戸前」はそんな加賀鳶が町火消しとの喧嘩で押し出して行く姿を見せる場面で、後の物語と直接のつながりはないのですが、黙阿弥得意のツラネという朗誦術を聴かせる面白さと江戸歌舞伎の爽快さを見せる一幕として上演を重ねてきたのです。
 「お茶の水」から道玄の悪事を描いた話になります。正直者に見えた按摩の道玄が悪の本性を顕すところが見どころで、通りかかった加賀鳶の松蔵が道玄の落とした財布を拾うのが後の伏線になります。「長屋」「質見世」はこの狂言の最大の見どころで、お朝の話から強請を思いついた道玄と相棒のお兼が一芝居を打つ姿を綴っていきます。最初は下手に出ていた道玄が次第に図太い本性を顕して行くところが見どころで、黙阿弥調と言われる寄席尽くしの台詞も聞き物です。ところが現われた松蔵から「空も朧のお茶の水」と咎められ威勢も弱まります。その変化が見ものです。「赤門」の捕物では闇の中で探り合うユーモラスな立ち廻りを見せます。

三、新古演劇十種の内 身替座禅(みがわりざぜん)

 明治43年(1910)に東京市村座で六代目尾上菊五郎、七代目坂東三津五郎が初演した長唄常磐津掛け合いの舞踊劇です。狂言の「花子」をもとに岡村柿紅が書いた作品で、菊五郎家の当り役を集めた新古演劇十種の一つになっています。恐妻家の亭主が妻を騙して浮気するものの発覚してとっちめられるという物語に、世界共通の普遍性があり歌舞伎の海外公演でも人気の高い演目です。
 舞台は能を模した松羽目。大名の山蔭右京は旅で馴染んだ花子が「逢いたい」と便りを寄せて来たので一計を案じます。前半は様々な案を持ち出す右京と恐妻の玉の井のやり取りが見どころです。玉の井は夫を大切に思う末の焼餅です。その結果一夜の座禅を許された右京は太郎冠者を身替りにして花子のもとへ向います。太郎冠者との会話、浮き浮きとして花子のもとへ急ぐ姿に男の浮気心が現われます。ところが玉の井が見舞いに来たため身替りがばれてしまいます。怒る玉の井と恐れる太郎冠者の応酬が笑いを呼びます。後半は情事の余韻に酔って陶然として帰って来る右京の姿が見もので、品位を保ちながら色気と柔らかさを見せます。花子との逢瀬の模様を楽しそうに語るところが見せ場で、扇子を使いながら右京と花子のやり取りを技巧豊かに艶やかに見せる演技が見ものです。玉の井の悪口を仕方噺で演じるところも見どころです。最後になって太郎冠者と思っていたのが山の神。右京はどうなるのでしょうか。

夜の部

一、仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)

  七段目 祇園一力茶屋の場

 歌舞伎三大名作の筆頭に上げられる作品で、寛延元年(1748)二世竹田出雲、三好松洛、並木千柳が合作した全十一段の浄瑠璃です。言うまでもなく元禄赤穂事件を描いた作品で、七段目は大石内蔵助(劇では大星由良之助)が敵の目を眩ますため祇園で遊興したという逸話を題材にしています。
 前半は由良之助が討入を迫る三人侍、一味に加わりたいと頼む平右衛門、敵方に内通した九太夫などを酔ったふりをしてあしらう姿を見せます。お茶屋で遊蕩しているお大尽の色気と風格、一方で片時も忠義を忘れていない由良之助の性根を見せる至難の役です。顔世から届いた文を読む場面から舞台の色合いが変わります。二階からお軽、 縁の下から九太夫が文を盗み読みする様子が絵になっています。お軽の髪から落ちた簪の音で、それを知った由良之助は色事に寄せてお軽に身請け話を持ちかけます。後半は兄平右衛門と妹お軽のやり取りが見ものです。夫勘平の死も知らず廓勤めしている妹を不憫に思う平右衛門、ひたすら勘平を慕うお軽のやり取りが見どころです。しかしお軽の話から由良之助の本心を察した平右衛門は、真相を告げてお軽を殺そうとします。悲しみを訴えるクドキはお軽の見せ場です。平右衛門は陽気に演じる派手な役ですが小心者の哀れを見せることも大切です。再び由良之助が現われて九太夫を引き出して折檻します。肺腑をえぐる長台詞が聞き物です。最後は絵面に決まって幕になります。

二、英執着獅子(はなぶさしゅうじゃくじし)

 宝暦4年(1754)に初代中村富十郎が江戸中村座で初演した長唄の舞踊で、女方が踊る獅子物の代表作です。永らく絶えていたのですが、昭和になって振りを復活しました。原点は能「石橋」で文殊菩薩のおわす清涼山には自然に出来た石橋があり、霊獣の獅子が牡丹に戯れているという伝説を仕組んだ舞踊です。
 遊女姿で踊るのと姫姿で踊るのと2種類のやり方があります。いずれにしてもこの曲の持つ古風で優艶な味わいを表現することが大切で、同時にそこが見どころになっています。最初は蝶や花に装えて恋する女心を描いた歌詞に連れて、差金の蝶を使った踊りを見せます。「露の草葉に靡く」から手獅子を持って賑やかに踊ります。「大宮人の庭桜、檜扇かざす緋桜の」からは桜尽くしの歌詞になり、ゆったりとした雅びな踊りが見どころになっています。「時しも今は牡丹の花の」からは獅子舞踊お馴染みの歌詞で曲は一層盛り上がります。続く「朝な夕なに写す鏡の」はクドキで、女形の美しい姿をしっとりと見せる場面です。後段は 石橋の有様を綴った歌詞になり、牡丹の花が咲き乱れて霊獣の獅子が遊ぶ聖地の姿を描きます。獅子の狂いを見せる場面で、白頭で隈をとり四天という衣裳で、両手に牡丹の花の枝を持って踊ります。獅子の勇ましさと女方の優美さをお楽しみいただきます。

三、魚屋宗五郎(さかなやそうごろう)

 河竹黙阿弥が明治16年(1883)に書いた世話物で、本名題が「新皿屋舗月雨暈」ということでも分かる通り「皿屋敷」伝説を踏まえた狂言です。磯部家の愛妾お蔦がお家横領を企む悪人たちの陰謀を知ったため惨殺される序幕がそれに当りますが、二幕目の「魚屋宗五郎」の話が上演を重ねています。と言うのは五代目尾上菊五郎の「世話物で酒乱になる役をやりたい」と言う希望を受けて黙阿弥が書いた狂言で、初演では菊五郎がお蔦と宗五郎を演じたのです。根は実直で分別のある宗五郎ですが、酒を飲むと人柄が変わってしまう。そのため宗五郎は酒絶ちをしています。前半ではそんな分別のある宗五郎の姿を見せます。つまりお蔦が殺されたのを怒る父親や家族を抑えて悲しみを堪えているのです。ところが朋輩のおなぎが来て真実を伝えます。今まで抑えていた怒りと悲しみが爆発して宗五郎は禁じていた酒に手を付けます。最初は好きな酒を久しぶりに飲んで陶然としていますが、次第に怒りに燃え酒乱になっていきます。その過程が見どころで、1杯が2杯最後には樽の酒を飲み干してしまうまでの宗五郎の姿が、周りの人びととの緻密なアンサンブルで描かれていきます。女房おはまや下働きの三吉の演技も重要です。「磯部邸」では宗五郎の「酔っていうのじゃございませんが」以下の台詞が聞きものです。ささやかなことで笑い泣いた庶民の暮らしの真実が描かれています。磯部候も酒乱で2人の酒乱の対照も作者の趣向の一つになっています。

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