天覧歌舞伎について

 明治20年(1887)4月、麻布鳥居坂の井上馨邸で、本邦初となる天覧歌舞伎が執り行われました。この天覧歌舞伎の実現には、末松謙澄が中心となり、政財界の主要人物の参加のもと設立された「演劇改良会」の後押しや、演劇を上流社会の社交場や外交に貢献させようとした、明治政府の政策も大きく寄与しました。とはいえ、天覧歌舞伎と銘打って挙行することは出来ず、井上馨邸に移築された茶室・八窓庵の茶室開きの余興という名目のもと、執り行われました。

 歌舞伎界にこの壮挙について内示があったのは、同年の4月2日のことで、当日出演する歌舞伎俳優の顔ぶれや、演目等について相談が計られました。その結果、出演者は九世市川團十郎、五世尾上菊五郎、初世市川左團次など、当時を代表する名優たちと定まり、演目は政府側が希望した『勧進帳』のほか、時代物や所作事を上演することとなりました。

 こうして迎えた4月26日、明治天皇の来臨のもと、天覧歌舞伎が幕を開けました。この日上演されたのは『勧進帳』をはじめ7演目を上演しました。27日は昭憲皇太后が行啓され、28日は各国公使や、演劇改良会会員を招待、最終日の29日には英照皇太后が行啓されました。  
 
 各日とも好評のうちに幕を閉じた天覧歌舞伎は、歌舞伎界はもとより、歌舞伎俳優の社会的地位向上に大きく貢献しました。また歌舞伎がわが国を代表する演劇であるという認識が、この天覧歌舞伎によって、より強いものになったと言っても過言ではありません。

 昭和28年(1953)11月には、現在の歌舞伎座に昭和天皇、香淳皇后が来臨され、昭和の天覧歌舞伎が実現しました。これは歌舞伎の興行を松竹が担うようになって初めての天覧歌舞伎であり、戦後の復興を印象付ける出来事でもありました。

 また歌舞伎400年の年に当った平成15年(2003)5月には、天皇皇后両陛下を歌舞伎座にお迎えしての天覧歌舞伎が実現し、記念の年に相応しい慶事となりました。 

明治の天覧歌舞伎『勧進帳』を再現

2007/04/23