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田之助が旭日小綬章を受章
4月29日(月・祝)、平成25年度春の叙勲において、澤村田之助が旭日小綬章を授章されることが内閣府より発表され、田之助が受章の喜びを語りました。
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田之助は平成9(1997)年に紫綬褒章を受章、同14(2002)年には歌舞伎脇役として重要無形文化財保持者各個認定(人間国宝)となっており、すでに長年の歌舞伎舞台に対する功績は広く認められているところですが、今回、もう一つ名誉な勲章が加わりました。「歌舞伎しか知らない、世間知らずでお恥ずかしい。身に余る光栄です」と謙虚に喜びを表しました。
名優たちとの思い出
初舞台は昭和16(1941)年3月歌舞伎座『伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)』鶴千代。「七代目宗十郎のおじさんの政岡で、十二代目仁左衛門のおじさんが八汐を勤められ、"一つ召しませ"と、客席に背を向けて菓子を置くときにウインクしてくれたのが忘れられません」。声よし姿よし形よしの仁左衛門ほか、十五世羽左衛門、七世幸四郎、そして六世菊五郎、「名優ぞろいでした。そこで子役として使っていただいたことが、大変にうれしいことでした」と、子役時代を懐かしみました。
『実盛物語』の太郎吉では、馬の乗り方が悪かったらしく、馬の脚のお弟子さんから「坊ちゃん、イタイイタイ!」と怒鳴られ、吹き出しそうになったのを、実盛役の十五世羽左衛門に笑っちゃいけないと怒られ、「馬に怒鳴られたのは私くらいじゃないでしょうか」と、思い出は尽きません。
六世菊五郎と相撲
田之助は舞台での活躍とは別に、相撲についても造詣が深く、初めて見た生の相撲は、六世菊五郎に連れて行かれた昭和14(1939)年1月の春場所。それが、双葉山の70連勝が阻止された歴史的一戦だったのですから、そう簡単に相撲熱が冷めることはありません。「六代目(菊五郎)は子役をかわいがってくれました。『め組の喧嘩』で鳶の子として出していただき、相撲と立廻りをした難しさ、楽しさ...」。今も鮮やかに残る記憶だそうです。
昨年80歳になりましたが、「『野崎村』の久作がやってみたい」と、舞台への意欲は衰えません。さらに、20年近く携わっている国立劇場養成事業にも力を入れます。「今は主任講師として、稽古をしています。役者になる難しさを知ってもらい、それでも厳しい修業に耐えて役者になってもらいたい」と、最後は今後の歌舞伎に前向きに取り組む力強い姿勢を見せ、喜びの会見を終えました。