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右之助が歌舞伎座「七月大歌舞伎」で二代目市川齊入襲名披露

右之助が歌舞伎座「七月大歌舞伎」で二代目市川齊入襲名披露

 

 

 7月3日(月)に初日を迎える歌舞伎座「七月大歌舞伎」で、昼の部『盲長屋梅加賀鳶(めくらながやうめがかがとび)』にて、市川右之助改め二代目市川齊入襲名披露が行われます。

 「十二世團十郎のもとで修業を重ね、年輪を重ね、芸格大きくなさってきた右之助さんが、市川家のなかでも大切な、右團次家の名跡である齊入(さいにゅう)の名前を相続されることになり、この7月、歌舞伎座の大歌舞伎でご披露することになりました」と、海老蔵に紹介された右之助。一礼とともにこれまで受けた恩義に感謝し、「なによりお客様のお引き立てあっての襲名」と喜びを表しました。

 

 齊入の名跡は初世市川右團次が、初代右之助を名のっていた実子に右團次の名跡を譲る際、自身が初めて名のった名前です。今回、大正5(1916)年に初代齊入が没して以来、101年ぶりに曾孫の右之助が二代目として継承します。「右團次から続いた家でございます。私は父が名のっておりました右之助を三代目として名のり、(三世市川)寿海のおじさんの部屋子としてお世話になっておりました」。

 

右之助が歌舞伎座「七月大歌舞伎」で二代目市川齊入襲名披露

一生の大半をお世話になった十二世團十郎

 寿海が昭和46(1971)年4月に没し、翌47年1月の大阪・新歌舞伎座で十二世團十郎が『毛抜』を上演したとき、「錦の前で出させていただいて、寿海さんが亡くなったんなら私のところへ来ないかと。ありがたいお話で、1年後に当時、海老蔵さんだった旦那にお世話になることになりました」。十二世團十郎が菊五郎劇団の世話物によく出ていた頃で、「皆、ちゃきちゃきの江戸っ子。私は大阪弁しかしゃべれなくて、外国へ来たような感じでした。鳶など江戸っ子の役は苦労し、ずいぶん勉強させていただきました」。

 

 海老蔵にとって右之助は、物心ついたときからずっと変わらない“おじちゃん”のような存在で、「ここでひと肌脱いで後続の指導にあたってほしいと、右之助さんにお願いしました。歌舞伎の未来のため、財産を継承させられる立場になっていただきたいと」。そのために齊入の名をという話になり、右之助は「びっくりしました。でも、これを機会にもう一回頑張りたいという気持ちが湧き上がり、曾祖父の名を相続させていただくことになりました」と、襲名に至った決意を語りました。

 

 「これからは年配の役を頑張りたい」という右之助。これまでに演じた『傾城反魂香』のおとくや『引窓』のお幸などを挙げ、「苦労はありますけれど、母さん、婆さんにはいい役が多いので、どんどんやらせていただきたい」と、襲名を機にさらなる舞台への意欲も見せました。

 

縁のある黙阿弥作品で大役での襲名を喜ぶ 

 「七月大歌舞伎」での襲名披露狂言は『盲長屋梅加賀鳶』。道玄の情婦で一緒に強請(ゆすり)を企むお兼を、初役で勤めます。「大役をいただいてとてもうれしい。(作者の)黙阿弥は、初世齊入の父、四世小團次と一緒にお芝居をつくった人。すごく縁を感じます」。お兼役として印象に残っているのは(三世尾上)多賀之丞で、「楽屋にいるときからお兼の感じが出ていらっしゃいました。真似はできなくても近づけるように頑張りたい」。

 

 道玄と梅吉の2役は海老蔵が初役で勤めます。この2役は十二世團十郎も勤めており、「成田屋の形を体現し、父の目指したものを新たな覚悟で表現したい」と、海老蔵は真剣な面持ちで語りました。また、夜の部の新作歌舞伎『駄右衛門花御所異聞(だえもんはなのごしょいぶん)』についても、「古典歌舞伎をつくる才能がある方々に集まっていただき、新たなもの、古典でも新しいもので、面白く、誰にでもわかりやすく、そして後世に残る作品をつくる」と意気込みました。 

 歌舞伎座「七月大歌舞伎」は7月3日(月)から27日(木)までの公演。チケットは6月12日(月)より、チケットWeb松竹チケットWeb松竹スマートフォンサイトチケットホン松竹で発売予定です。

 

右之助が歌舞伎座「七月大歌舞伎」で二代目市川齊入襲名披露

2017/05/29