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海老蔵が語る成田山開基一〇八〇年記念『雷神不動北山櫻』

海老蔵が語る成田山開基一〇八〇年記念「雷神不動北山櫻』

 成田山開基1080年記念奉納演舞『連獅子』 左より、大谷廣松、市川海老蔵

 

 

海老蔵が語る成田山開基一〇八〇年記念「雷神不動北山櫻』

 十一代目團十郎襲名記念で「團十郎号」が走って以来、成田屋では6度目となる特別列車

 4月20日(金)、千葉県 成田山新勝寺の成田山開基1080年記念で、市川海老蔵が御練り行列、奉納演舞を行いました。

 10年ぶりに運行した「成田屋号」から京成成田駅に降りたった海老蔵と息子の堀越勸玄は、さっそく熱烈な歓迎を受け、御練り進発式から成田山開基1080年祭記念大開帳の奉祝参拝行事がスタート。

 

海老蔵が語る成田山開基一〇八〇年記念「雷神不動北山櫻』

 成田市の観光大使として成田市御案内人も務める海老蔵。進発式の花束贈呈には、小泉成田市長(写真右)と一緒に、うなりくんも駆けつけました

 参道入り口での進発式には、成田市観光キャラクターのうなりくんも駆けつけ、小泉一成成田市長の柝で、総勢約750名による御練りが始まりました。開基1080年記念音頭「心はればれ成田山」に合わせ、成田商工会議所女性会の皆さんの踊りが華を添えます。参道では各所で花束贈呈やくす玉割りがあり、そのたびに「成田屋!」のかけ声と、拍手が起こりました。

 

海老蔵が語る成田山開基一〇八〇年記念「雷神不動北山櫻』

 海老蔵が下手のくす玉、勸玄が上手のくす玉を見事に割ってお練りの到着を祝いました

 約800メートルの御練りの最後には、新勝寺総門で海老蔵と勸玄が大きなくす玉を一つずつ割りました。到着式では可愛らしい手古舞姿の御練り参加者と記念撮影の後、小泉市長から御練りの御礼の挨拶。安孫子正松竹株式会社副社長が10年前の行事を振り返り、「またこうして、奉祝の舞踊ができることをなにより喜んでいらっしゃると思います」と十二世團十郎を偲びました。 

 

海老蔵が語る成田山開基一〇八〇年記念「雷神不動北山櫻』

 特設舞台では海老蔵に続き、成田屋一門が見守る中、勸玄も挨拶

 続いて特設舞台の中央に立った海老蔵も、「本年は開基1080年。1070年記念祭は父と同じこの舞台で仔獅子を勤め、一所懸命父の背中をずっと追っていた懐かしい思い出がございます」と振り返りました。初世團十郎が成田山に祈願して授かったのが九蔵、のちの二世團十郎。その生誕330年の年に、二世が初演した『雷神不動北山櫻(なるかみふどうきたやまざくら)』が上演できることを、「ご不動様のご利益ではないかと思っております。父、私、倅、いついつまでも末永くご指導ご鞭撻、応援のほどよろしくお願い申し上げます」と挨拶しました。

 

海老蔵が語る成田山開基一〇八〇年記念「雷神不動北山櫻』

 大本堂の御護摩の火が焚かれて始まった大護摩修行

 御練りで海老蔵に手を引かれ、手を振り続けた勸玄は、「堀越勸玄です。歌舞伎の道に進みたいと思います。これからもどうぞよろしくお願いいたします」と、大本堂の御本尊の前でしっかりと決意表明。お集まりの皆さんから、たくさんの声援が飛びました。その後、大本堂で「記念大護摩修行」に臨んだ海老蔵と勸玄。護摩木を焚いた御護摩の火に大切なものをあてる御火加持では、勸玄も上着をかざして不動様のご利益をいただいていました。

 

 夕闇が迫る時間となって始まった「奉納演舞」。海老蔵が親獅子、廣松が仔獅子を勤め、『連獅子』が上演されました。特設舞台の鳴物の音が不動明王の鎮座する大本堂にも響き渡り、静まり返った会場は一気に神聖な空気に包まれます。狂言師から親子の獅子の精となって豪快な毛振りを見せ、最後にその場を圧するような気迫のこもった眼光を放った親獅子。割れんばかりの拍手が続き、ふと見上げればまるで舞台背景のような上弦の月と一番星が輝いていました。

海老蔵が語る成田山開基一〇八〇年記念「雷神不動北山櫻』

 新勝寺への参道に飾られた『雷神不動北山櫻』の特別ポスター

 十二世團十郎五年祭となる今年の歌舞伎座「團菊祭五月大歌舞伎」では、成田山開基一〇八〇年、二世市川團十郎生誕三百三十年と冠し、通し狂言『雷神不動北山櫻』が上演されます。「二代目團十郎というとやはりこの演目、成田山新勝寺様というとお不動様ですし」、自然とこういう流れになったと語った海老蔵。そして、「この演目は私が本気で歌舞伎をやろうと思ったときの決意表明」と明かしました。

 

海老蔵の転機となった『雷神不動北山櫻』

 『毛抜』の粂寺弾正を初役で勤めたとき(平成19年1月大阪松竹座)、「『毛抜』、『鳴神』がつながる可能性が出てきたので、『雷神不動北山櫻』として復活したいなと」考え、翌年1月新橋演舞場で、新たな構想をもとに通し狂言として上演。初演の二世團十郎は、のちに歌舞伎十八番となる『毛抜』『鳴神』『不動』の弾正、鳴神上人、不動明王の3役を勤めて当りをとりましたが、海老蔵が勤めたのは早雲王子と安倍清行を加えた5役で、当時の決意表明の強い思いの表れと振り返りました。

 

 10年前の初役のときは、「6時間強の演目を4時間弱に切る作業が難しかった」。舞台を見た父は喜んでいたけれど、「『不動』でなぜ飛ぶんだ、不動だから止まっていたほうがいい、と最後にだけ駄目出しがありました」。しかし、海老蔵は、「そもそも神仏は不動でありながら遊動で、また、その表現には宙乗りではなく、空中浮遊が最も適していると若い頃から思っていた」と言い、今回も変わらず空中浮遊で不動を表現します。

 

『毛抜』と『鳴神』を描き分ける

 5度目となる通し上演にあたり海老蔵は、歴史ある團菊祭を毎年楽しみにしてくださるお客様のため、古典として個別に上演されることが多い「『毛抜』『鳴神』に意識を持っていく」と言います。どちらもしばらく上演が絶えていたのを、明治の終わりに二世左團次が復活させたもので、弾正と鳴神上人の「色気が似ている。けれども違うんです。弾正を引きずったまま上人をやると、それで終わりになってしまいます。二人の違いをしっかり描ければ」と、意欲を見せました。

 

 『毛抜』は十一世團十郎がいっそうの工夫を重ね、舞台背景や衣裳、演技も変えてつくり上げたものを父から継承しており、「父は特に形、型のことを言っていました」。一方、『鳴神』は「上人という高僧であり、その時代を切り崩した純粋無垢な人間でなくてはいけない」というのが父の教え。雲の絶間姫は菊之助で、「近年は團菊祭でないと共演もあまりないので、同世代で一緒に芝居をつくれるということ、そして、1年ぶりの團菊祭で会うからこそお互いに思うことがあるのでは」と、共演の化学反応にも期待を寄せています。

 

成田屋との長く深い縁

 「天才肌で時代を切り開く力がすごかった初代團十郎が、成田山に祈念して二代目となる九蔵が生まれ、徹底的な教育をして信念を伝え、守らせた。二代目は責任感のある大きな役者で、父は代々の團十郎では二代目に会いたいとよく口にしていました。二代目は律義に、真剣に、研究してものをつくった人。父もそういうところがございました」。自分はどちらかというと、「初代や七代目、ちょっと奇抜なほう」の気持ちに共感するところがあり、波風が立っても切り拓いていくと海老蔵。

 

 そんな初世、二世團十郎以来の長きにわたる深いゆかりがあり、屋号の成田屋の由来ともなった成田山新勝寺は、海老蔵にとって「子どもの頃から父に連れられてきていましたし、修行もさせていただき、個人的にも故郷のようなところ」。10年ぶりの御練りは図らずも成田屋の当主としての参加となりましたが、「その立場で来ると、いっそう気持ちも引き締まります」と、親しみも寄せる思いもひとしおとなった一日でした。

 歌舞伎座百三十年「團菊祭五月大歌舞伎」は5月2日(水)から26日(土)までの公演。チケットは、チケットWeb松竹チケットWeb松竹スマートフォンサイトチケットホン松竹で販売中です。

2018/04/25