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幸四郎、染五郎、金太郎が襲名披露の「口上」写真を撮影

幸四郎、染五郎、金太郎が襲名披露の「口上」写真を撮影

 「口上」写真を撮影する篠山紀信氏(右)と、松本幸四郎、市川染五郎、松本金太郎

 

 

 2018年1月・2月の歌舞伎座から襲名披露興行を行う松本幸四郎、市川染五郎、松本金太郎が、襲名披露に向けて「口上」写真の撮影を披露しました。

 松本幸四郎改め二代目松本白鸚、市川染五郎改め十代目松本幸四郎、松本金太郎改め八代目市川染五郎の襲名披露興行は、二代にわたる親子孫3世代での同時襲名となります。37年の時を経て行われる、三代の襲名披露まであと9カ月。歌舞伎座の舞台の緋毛氈の上で金屏風を背に座した幸四郎、染五郎、金太郎は、ひと足早く二代目白鸚、十代目幸四郎、八代目染五郎の顔を見せました。

 

それぞれの名前との別れの年、感謝の気持ちで

 襲名を発表してからのち幸四郎は、「今は悔いのないように一所懸命、一日一日、ひと役ひと役、別れの気持ちと皆様への感謝の気持ちで勤めております」と、静かに語りました。「36年前、父(初世白鸚)は襲名の翌年に亡くなり、その頃は親孝行できませんでしたが、これで、万分の一でも親孝行ができたかな、という日々でございます」。

 

 幸四郎は、歌舞伎座舞台での親子孫三代の襲名による「口上」写真撮影が初めてと聞き、「私もうれしゅうございます。今日は一つの区切りの気持ちでおります」と率直な気持ちを述べました。三人は幸四郎家として柿色の裃に鉞(まさかり)の頭で現れましたが、その裃には家紋の四ツ花菱ではなく、染五郎になる金太郎は三ツ銀杏で、染五郎と幸四郎は浮線蝶の紋を付けています。

 

三ツ銀杏、浮線蝶に込められた熱い思い

 染五郎は、「祖父(初世白鸚)の襲名のとき、父が染五郎の紋を三ツ銀杏にいたしまして、幸四郎の紋を浮線蝶に変えました。今日、浮線蝶を初めて付けさせていただきましたが、三ツ銀杏への思いもありながら、新たになるということが、どれだけ覚悟をつけられるかということだと、今、多少ではありますが実感しています」と、神妙な面持ちで話しました。

 

 さらに染五郎は、「歌舞伎役者であり続ける、憧れの役を勤めたい、そこへ向かう道に、幸四郎になるということがあったんだと思い、覚悟を決めました。(染五郎になった)36年前を思い出すと、本当にいろんな方がいなくなってしまいました。その方たちに教わったこと、出会ったことをご披露するのがこの襲名。自分の中に生きているものを…」と、来し方を振り返りながらこみ上げてくる気持ちを吐露しました。

 

「口上」の撮影で襲名を実感

 金太郎は、「(襲名披露の発表)会見のときは実感がわかなかったんですけど、襲名に向けての写真を撮って、少し実感がわきました」と、しっかりとした口調で話しました。幸四郎は「初御目見得で手を引いて歌舞伎座の舞台へ出たとき(平成19年6月『俠客春雨傘(きょうかくはるさめがさ)』)、私は歌舞伎の木戸を開けて中へ入れました。染五郎襲名は、あとは自分で歌舞伎の道、芸の道を歩いておいで、と背中を押してやる気持ちです」と、穏やかに温かいまなざしを向けました。

 

 「口上」写真を撮影した篠山紀信氏は、歌舞伎俳優を初めて撮ったのが、当時染五郎だった幸四郎で、以来50年、結婚式や金太郎初舞台『門出祝寿連獅子』での三人の舞台などを撮影。「初めて撮ったのは整髪料のCMで、Gパンで馬にまたがり、ギターを持って歌っている幸四郎さんでした。それがご縁で、『ラ・マンチャの男』の初役のポスターも撮影。長いこと撮らせていただいて、今日、ここに三人と一緒にいられることが本当に光栄です」と感慨を込めました。「こうなったら四代の撮影まで生きていたい」と続け、三人の緊張もほっと解けたところで撮影の取材は終了となりました。

2017/03/29