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初代松本白鸚二十七回忌追善 二月大歌舞伎

初代松本白鸚二十七回忌追善 二月大歌舞伎

 平成20年2月歌舞伎座では、「歌舞伎座百二十年 初代松本白鸚二十七回忌追善 二月大歌舞伎」が行なわれます。
 松本幸四郎が『仮名手本忠臣蔵 七段目』の大星由良之助と『熊谷陣屋』の熊谷直実、中村吉右衛門が『積恋雪関扉』の関兵衛実は大伴黒主を勤めるなど、初代白鸚にゆかりの深い作品が上演されます。公演に先立ち幸四郎・染五郎親子が追善興行について語りました。

松本幸四郎―――
 父白鸚の二十七回忌の年に、このように追善興行が行われること、大変嬉しく思っております。今回ご出演いただく多くの俳優さんからも「白鸚のおじさんにはお世話になった。」とか、「僕は白鸚のおじさんが大好きで。」と、お声をかけていただき、それほどまでに父は慕われていたんだなと改めて感じ入っております。

 今回上演される『熊谷陣屋』の有名な台詞に「十六年は一昔」とありますが、きっと今回、その台詞のとき「二十七年は、ああ、昔だなあ」と父に向かって言うことになるのではないかと思っています。

 それから、父のゆかりの狂言ではないのですが今回の追善で染五郎が『春興鏡獅子』を上演させていただくことになりました。染五郎はこれを十代のころ歌舞伎座で行われた「子供歌舞伎鑑賞教室」で、一日だけ勤めました。その時、父はもう亡くなっておりましたが、その父の弟である、亡き二代目尾上松緑の叔父が、染五郎に稽古をつけてくれました。

 松緑の叔父は、稽古を全部見てくれて、最後に一言「ああ、高麗屋にも、弥生が踊れる役者が出たな」と言ってくれたんです。それがおそらく、松緑の叔父との最後の会話だったと思います。その言葉が、耳から離れずにおりました。夜の部の最後、お客様に「新しい高麗屋の門出だ」と感じていただければと思っております。


市川染五郎―――
 この興行では、『積恋雪関扉』の良峯少将宗貞、『仮名手本忠臣蔵 七段目』の寺岡平右衛門、『春興鏡獅子』の弥生を勤めます。どれもが大きなお役で、自分の目標とする役々です。他の演目も、全ての役ができるようになるというのが、自分の目標でもあります。

 (昭和56年10月・11月歌舞伎座での、初代白鸚、九代目幸四郎、七代目染五郎の高麗屋三代襲名披露の10月に上演された)七段目の力弥をやらせていただいたのが、祖父との最初で最後の共演でしたが、その時の事を思い返しながら勤めたいと思っています。


白鸚の印象、思い出―――

染五郎―――
 時が経つほどすごい役者だと改めて感じています。でも、普段はすごく優しいお爺ちゃんでした。共演した襲名の公演は10月・11月で、年が明けて1月に祖父は亡くなったのですが、襲名の後お見舞いに行ったときにも、優しい言葉を掛けてくれてくれました。子供ながらに、嬉しいと思ったと同時に、命がけで舞台を勤めるって言うのはこういうことだと思いました。

幸四郎―――
 今でも忘れないのですが、三代襲名の時、父の体調が悪かったので襲名をもう少し先に延ばそうかという話がありました。それを聞いた親父が「もう、それじゃ遅いんです」と一言いったんです。心の中で覚悟が出来ていたのだと思います。

 父のエピソードの一つで、体を悪くして入院し、手術をすることになったのですが麻酔をつかえない箇所で、麻酔無しでメスを入れたらしいんです。
 その後、病院に見舞いにいったとき、父がそのときの事を「どこまでが我慢ができる痛みで、人間どこからが我慢できない痛みなのかわからない」と言ったんです。由良之助など、辛抱する役を何十年とやり続けちゃうとこうなっちゃうのかなと、苦笑しながら話を聞いた覚えがあります。

 私が『ラマンチャの男』でブロードウェイに行ったときに、公演中に手紙がきまして、お袋は体の事や、細々とした事を記しているのですが、親父は文末に「俺はお前を信じてる・父」とそれだけ。劇場の楽屋でそれを読みながら、ポタポタ手紙の上に涙がこぼれてきた事も思い出します。

 父が最後に言った言葉なんですが、病床の父の周りに兄弟が集まって、お袋がしみじみ父の足をさすりながら、「いいわね、こんないい子供たち持てて」と言ったら「大した親でもねえのに」っていったんです。それが最後の言葉かな。あんまり偉いとか、格好をつけるとか、そういうことをせずに一生を貫き通したんだと思います。自分をごまかさないで、そういう風に役者として一生貫き通せたらいいなと思わせるような父でした。


高麗屋に受け継がれているもの―――

幸四郎―――
 歌舞伎役者の体というのは、体験し、勉強し、修行し、感じた事を体の中でお酒のワインのように芳香をつけていくものだと思うんです。それが歌舞伎という演劇で、私たちはそういう役者なんだと思います。円熟という言葉がありますが、体のなかで熟すんです。それでなければ、経験したことも、色々とやったことも、実を結ばないと思います。

 自分の体の中で芸を熟させるには、どう考え、どういう姿勢で俳優の道を歩んで行ったら良いか、言葉には出しませんでしたが、父はそれを背中で見せてくれました。それが僕に伝わり、さらに染五郎に伝わってくれればいいなと思っています。


今回の役について―――

幸四郎―――
 昼の部では、七段目の由良之助、夜の部では、熊谷を勤めます。父の由良之助を見ていたお客様が、幕が閉まった後に、「ああ、大星由良之助ってこういう人だったのかもしれないね」っておっしゃった事がありました。その時の七段目の由良之助は、白鸚が演じている由良之助ではなくて、大星由良之助が舞台にいたんですね。父がお客様にそう言わしめた由良之助を今度は、自分の中でさらに円熟させてお見せしたいと思います。

 熊谷は、父が晩年まで勤めていて、とても好きな役だったんではないかと思っています。やはり、最後の「十六年は一昔」っていうセリフは、胸にきちゃいそうな気がしていますね。

 『口上』はきっとみなさんが、いろんな思い出話をしてくださると思いますので楽しみにしています。

染五郎―――
 『関の扉』の良峯少将宗貞は初役です。本興行の『関の扉』で後見を勤めたことはありますが、役をするのは初めてです。関兵衛の勉強ということも念頭におきながら勤めたいと思います。七段目に出るのは襲名以来ですので、祖父との共演を思い出しながら一生懸命勤めたいと思っています。

 『鏡獅子』は十代のころ、「子供歌舞伎鑑賞教室」でやらせていただき、松緑の叔父が楽屋でお稽古をして下さいました。今回の演目の中でも祖父が演じていない役なので、皆様に納得していただけるような舞台にしたいと思っています。

歌舞伎座百二十年 初代松本白鸚27回忌追善 二月大歌舞伎

 

初代松本白鸚二十七回忌追善 二月大歌舞伎

2008/01/15