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鳥羽屋三右衛門の碑、除幕式

鳥羽屋三右衛門の碑、除幕式

 2月27日(土)、東京 本誓寺にて、歌舞伎長唄の鳥羽屋流祖、初代鳥羽屋三右衛門二百五十遠忌を機に建立された、鳥羽屋三右衛門の碑の除幕式が行われました。

歌舞伎とともにあった初代三右衛門

 3年前、三代目を襲名した三右衛門は、数少ない文献や記述をたどり、初代が葬られた地に初代と二代目を供養する石碑を建てるに至りました。「これから300年後にも鳥羽屋を存続させないといけないと思ったのが、建立の一番の理由です。歴代の鳥羽屋、歌舞伎関係の皆様に、ここが初代の終焉の地であると伝わるように」。その鳥羽屋という家について、「歌舞伎に即した家だと思っています」と、三右衛門は言います。

 

 「初代大薩摩主膳太夫の相三味線として名が残っており、その前に河東節の立三味線を弾き、後には豊後節の弾き初めとしても三右衛門の名前があります。1700年代の歌舞伎の創成期、長唄の黎明期にあったのが鳥羽屋。歌舞伎とともにある、それが鳥羽屋の芸風として認知されればいいと思っています」。歌舞伎の“歌”は音楽、「歌舞伎には、俳優の演技と音楽家の演奏が欠くことのできないものだと思うので」、と三右衛門は続けました。

 

鳥羽屋三右衛門の碑、除幕式

「鳥羽屋三右衛門之碑」と刻まれた石碑

 除幕式は、鳥羽屋宗家の七代目鳥羽屋里長を筆頭に一門がそろい、本堂での法要ののち、石碑が披露されました。その後、初代三右衛門が「三鳥三畜(さんちょうさんちく)」の秘曲を残したのにちなみ、雉(きじ)と雀を題材として新たに門弟によってつくられた2曲と、大薩摩「三百年栄鳥羽屋(みつももとせとばやのさかえ)」が、奉納演奏されました。

 

 大薩摩は当代三右衛門が作詞。「歌人の後鳥羽上皇、さらには鳥羽天皇のもと鳥獣戯画を描いたといわれる鳥羽僧正…。文化芸術に精通していた“鳥羽”の名をいただいて初代が名のったのでは、というロマンを抱いてつくりました」。石碑にもあしらわれた初代の紋、変わり十三割り隅立て四つ目結紋から、初代が近江源氏を祖とする佐々木家嫡流に生まれたことを詠み込み、300年後への思いを託しました。

 

 流祖となった初代が「多彩な創作家ではなかったかと思う」ところから、一門には作詞、作曲の苦労を知ってもらいたいと三右衛門は言います。そこには、「つくった人の気持ちを考えて演奏することに向き直れるのでは」、との期待もこもっています。「できれば、流祖の祥月命日、2月27日を忘れないためにも、毎年創作の会を開きたい」。後々まで残る石碑を建てることで、歌舞伎とともに歩んできた長唄の鳥羽屋を、末永く残していこうという三代目としての決意をあらためて表しました。

 

鳥羽屋三右衛門の碑、除幕式

2016/02/27