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彌十郎、「歌舞伎夜話」で語った思い出の数々
3月18日(金)、歌舞伎座ギャラリーで行われた「ギャラリーレクチャー 歌舞伎夜話」 第15回に、坂東彌十郎が登場しました。
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自分にとっての英雄は、猿翁と十八世勘三郎という彌十郎。最初の話題は、スーパー歌舞伎『ヤマトタケル』です。立ち上げから参加し、初演(昭和61年2、3月新橋演舞場)以来たびたび勤めた熊襲兄タケルの、巨大な蛸を背中にあしらった斬新な衣裳が「海外のファッション誌にも取り上げられました」と、無邪気な笑顔を見せます。「いざ着てみたら重たくて、体の向きを変えるのも難しい。それで裾のフキを軽くしたら、逆に裾を回すのが大変になって…」。演出助手も兼務しながらの舞台、過酷なエピソードが次々と明かされ、会場は悲鳴と笑いの嵐に包まれます。
思い出深い役としてもう一つ挙げたのが、平成中村座『夏祭浪花鑑』で勤めた釣船の三婦。「大阪の扇町公園で初演したとき(平成14年11月)、道でお客様に『昔あんなおっちゃん、ぎょうさんいたんや』と声をかけていただきました。その話をしたら勘三郎さんが喜んでくれて…」。勘三郎ともう一度共演したい芝居は「いっぱいあります。勘三郎さんの助六に僕が意休をさせていただくという、勘三郎さんとの約束もありました。もう一度『夏祭』の三婦も一緒にやりたかったな」と、万感胸に迫る様子で語りました。
父 初代坂東好太郎は、林長二郎(長谷川一夫)、高田浩吉とともに“下加茂の三羽烏”と呼ばれた銀幕のスター。八世坂東三津五郎の襲名を機に歌舞伎へ復帰しますが、「初役ばかりですから、大変な苦労をしたと思います。(十四世守田)勘弥の伯父と三津五郎のおじに、教えていただいていました」。
彌十郎は父の稽古のテープ係として同行しており、その経験が生きたのが兄の坂東吉弥が亡くなり、代役で弥陀六(『一谷嫩軍記』「熊谷陣屋」)を勤めたとき(平成16年5月南座)。「勤めてないのにせりふがスラスラ出てきました。若い頃に耳で聞く稽古は大事ですね」と、しみじみ振り返ります。「勘弥の伯父の与三郎も耳に残っています。江戸の匂いがして、わくわくするような…大好きでしたね。いつか私もそんな与三郎を勤めてみたい、新悟がお富で、でも私の与三郎で一緒にやってくれるかな」と、本気とちょっぴり冗談の入り混じる、とても素敵な夢を語ります。
プライベートでは、「思い立ったら一人で行く」という大好きなスイスの話。標高3,100メートル、宿の窓を開け、マイナス6度の冷気に凍えながら夜空を撮影したエピソードも披露しました。湖にマッターホルンが映り込むお気に入りの撮影ポイントまでは「歩いて3、4時間。しばらく筋肉痛になりますが、体脂肪が10パーセントくらい落ちて、すごく体調にもいい。最高のリフレッシュです」。終始和やかに笑みを絶やさず、どんな話題も真摯に率直に語る彌十郎。その温かな色気にお客様も酔いしれました。