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コクーン歌舞伎で勘三郎が演じる佐倉宗吾とは
6月、渋谷・コクーン歌舞伎第十一弾『佐倉義民傳』。主人公の佐倉宗吾についてご紹介しましょう。
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佐倉宗吾のモデル木内惣五郎は、今から360年程前の慶長17年(1612)、下総国印旛郡公津村に、もとは武士の源左衛門の長男として生まれます。寛永から承応年間、佐倉藩国家老は増税に加え、寺社税、家屋税を始め鋤鍬税、味噌税に至る重税を課し、過酷なまでの取り立てを行ったため、領民達は苦しみ、一家離散、餓死する者も現れ、遂には百姓一揆が起きます。惣五郎はこの時の割元名主でした。
この状況に、各名主が佐倉代官屋敷に減税を願いますが取り上げられず、続いて江戸の領主堀田上屋敷の門前で嘆願書を差し出しますが却下、遂に意を決して、将軍家側用人久世大和守の駕籠先に訴えますが、それも失敗します。この駕寵訴はすぐに国許に知れ、帰郷したら惣五郎らを召し取るようにとのお達しが出されます。
万策尽きた惣五郎は、最後の手段として将軍家への直訴を決意します。12月10日大雪を幸いに江戸表を離れ、ひそかに帰郷し妻に難の及ばぬよう離縁状をわたすと、直ぐに江戸に引き返します。その際に、渡し守の甚兵衛は恩ある惣五郎の為、禁を破って舟で惣五郎を送り届け、自らは印旛沼に身を投じたと伝えられています。
12月20日、上野寛永寺に参拝する四代将軍徳川家綱に直訴し成功しますが、直訴の罪は重く翌年8月3日、惣五郎は磔、子供4人は斬首の刑に処せられます。惣五郎享年42歳。しかしその後、税は軽減され、命を賭けた直訴は実を結び、己の失敗を悔いた領主は「宗吾」と追諡(ついし)し、惣五郎は今も千葉県成田市にある宗吾霊堂に祀られています。
2010/05/26