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芝翫が語る「四国こんぴら歌舞伎大芝居」
4月7日(土)に初日を迎える、旧金毘羅大芝居(金丸座)「四国こんぴら歌舞伎大芝居」で、襲名披露を行う中村芝翫に聞きました。
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――『魚屋宗五郎』の宗五郎はこれまで2回勤めています。
父(七世芝翫)は酒が入るときまって、「芝のおやじがね」と六代目菊五郎のおじ様の話を始めました。宗五郎の話は年がら年中、出ていました。初役では、菊五郎のお兄様に教えを乞うてやらせていただきましたが、世話物は等身大の人間の苦しみ、喜び、江戸の庶民の匂いが出せないといけませんから、人生経験を積まないとできっこありません。
――初役は平成8(1996)年6月国立劇場、30歳のときでした。
宗五郎は出てきた瞬間に香るようなものを出さなければいけないですし、家族を愛し、酒が入るまでは几帳面で律義な人間。でも、登場から酒を飲むまでの時間は意外とわずかで、仕方噺ですべてを伝えないといけません。初役では三味線に乗って(世話物なのに)時代になったりもしました。今は50歳を過ぎましたので、どうにかいけるんじゃないかと願っています。襲名披露狂言でできるのはうれしいです。
――酒の飲み方など、細かい工夫がたくさんあるのでは。
三吉をやったときは角樽に水を入れて、つぐとどれだけ減るか、おなかを壊すくらい水を飲みました。これは、兄(福助)が初めて歌舞伎座で『お染の七役』をやったとき、(五世)富十郎のお兄さんが喜兵衛で、「何杯つぐと徳利のお尻が上がってくるとか、家で水を入れて稽古するんだよ」とおっしゃっていたからです。辰之助の兄さん(三世松緑)はそういうことにやかましかったですから、『勧進帳』の弁慶の蔓桶の飲み方とかも教えてくれました。
――金丸座の雰囲気によく合うお芝居では。
合方も伸ばさなくていいでしょうし、世話物にいい広さだと思います。今回は(場面転換で)舞台を回してみようと思っています。
――『鎌倉三代記』高綱は平成7(1995)年1月以来2度目、子どもの頃から好きな芝居だったそうですね。
新橋演舞場の『法界坊』に出ていた小学二年生のときのことです。『鎌倉三代記』の舞台を回すと『法界坊』の舞台だったので、高綱が出てくる井戸の反対側に法界坊の穴掘りの穴があり、播磨屋のお兄さん(吉右衛門)が化粧(かお)をしているのが格好よくてずっと見ていました。学校でも跳び箱をひっくり返して井戸に見立て、「地獄の上の一足飛び」とやったりしていました。
――井戸といえば、金丸座には舞台と花道の角に空井戸があります。
向こうに行って実際によく見て演出方法を考えようと思っています。実は、芝翫型のなりでは空井戸から出にくく、悩んだ結果、今回は芝翫型ではなく空井戸から出る演出をとることにいたしました。お客様にも喜んでいただけるでしょう。
――高綱が成りすます足軽の藤三郎は、いやがる時姫に言い寄っていきます。
藤三郎で高綱を引きずっていてはどうしようもできない。僕はまったく別と考えています。高綱はワイルドさというか、荒削りな感じがあり、三浦之助があれだけしんみりと芝居をしているので、逆に高綱は役のその魅力に乗っていったほうがいい。昔の人はこういう芝居のバランスをうまくとっていると思います。
――『鞘當』は仮花道のある金丸座にぴったりでは。
両花道を存分に使い、留男、留女も花道から出てきます。家族、一門がそろう劇中の口上がうれしいですね。父は亡くなる前にもう一回金丸座に出たいと言っておりましたので、留男のせりふでもちょっとしゃべらせてもらいますが、自分の中では父の追善の気持ちでおります。
――橋之助さんが梅玉さんの名古屋山三を相手に不破伴左衛門。芝翫さんが何度も勤められた役です。
僕はどうやって教えていいかわからないので、先輩に習いに行っています。襲名では経験したことのない大役を勤め、先輩方に本当にいい教えをいただきました。僕は教えるのが下手なんです。父と兄はうまい。神谷町の家には父の台本が残っていますが、山ほど書き込みが入っているんです。子どもたちにはどこか、父の芸を引き継いでほしいと願っています。
――『石橋』の舞台面は、襲名披露口上の舞台面を描かれた朝倉隆文さんの描き下ろしです。
新しい感じですよ。金丸座にはまると面白いものになるんじゃないでしょうか。襲名では三人が立役をやりたいと言っていましたが、立役といっても種類がありますから、それぞれ考えていることが違うようです。今回のこんぴら歌舞伎では児太郎も含め、初めての金丸座で若者たちが何かを感じ、新しい発見があるんじゃないでしょうか。それも楽しみです。
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旧金毘羅大芝居(金丸座)「四国こんぴら歌舞伎大芝居」は、4月7日(土)から22日(日)までの公演。チケットは、チケットWeb松竹、チケットWeb松竹スマートフォンサイト、チケットホン松竹で販売中です。