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芝翫が語る、歌舞伎座『絵本太功記』
4月3日(土)から始まる歌舞伎座「四月大歌舞伎」第二部『絵本太功記』に出演する中村芝翫が、公演に向けての思いを語りました。
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先人の工夫がにじむ役
『絵本太功記』の十段目、通称『太十』の光秀役はこれで3度目。「好きなお役です。初めて見たのは、河内屋のおじさま(三世實川延若)の光秀でした。一番憧れたのは出のところ。舌を横に出してなさる見得が好きで」と、懐かしそうな表情を見せます。初役は、十二世市川團十郎が病気療養のため、代わって勤めた平成17(2005)年11月の国立劇場。十二世團十郎に教わったときのことを振り返りながら、「このときに通しでやらせていただいたおかげで、十段目に至るまでの光秀の苦しみや葛藤が」理解しやすい、と語りました。
光秀の登場に続き、真柴久吉を探して屋敷を探る場面もみどころです。「紀尾井町のおじさま(二世尾上松緑)からもお話を伺いましたが、(人によって)さまざまなやり方があります。これは先人の方々が工夫を重ねたお役であるということ。無言でやっていく、この部分の動きが流れてしまってもいけないですし、そこに光秀の緻密さのようなものがにじみ出てこないと。そうした部分は、昔の方も大事になさっていたのではないでしょうか」。
光秀という人物
歴史にも造詣が深い芝翫。実在の武将である光秀については、「逆臣というイメージですが、決してそうではない。地元の人々に愛されていたと言われています。優れていても、時代の流れで、野球で例えるならいわゆる4番打者になれなかった人でしたが、時代が違っていたらもっと変わっていたかもしれません。僕も自分の念持仏を持ち歩いているのですが、光秀も念持仏にお地蔵様を持っていたそうです」。そんなところにも、人間らしさを感じると言います。
そんな光秀が、芝居のなかで母親と息子を失い、感極まって泣く大落としは物語の山場です。「子の死、母の思い、すべてが重なって、大落としになります。姑息に泣いて女々しくなってもいけないので、涙はこぼさず、ずっと座ったまま耐え忍ぶ。自分の心との闘いです。発散するお役ではないんですよね。光秀をやるときは、拵えをして早めに屋体の後ろで出番を待つのですが、そこから(気持ちを)つくっていかないとできないお役でもあります」と、役への心構えを明かしました。
芝翫襲名から5年
八代目芝翫の襲名から今年で5年目。「あっという間でしたが、やっと心が落ち着いてきたような感じがいたします。歌舞伎俳優たちが一丸となってやっている今、僕も父(七世芝翫)のようにいろいろな役回りを継いでいかなくてはと思っています。今月、南座で息子たちが花形歌舞伎をやっていますが、お客様もいっぱいだそうで、ありがたいことですね。若手が公演できる場がもっとあればいいなと考えています」と、若い世代へも温かい目を向けます。
このコロナ禍において公演の形態にも変化があるなかで、「運びのよさ、伝わりやすさということを考えて、時代物を見直すということも大事なのかもしれません」と、心中を語ります。「こうした状況だからこそしっかり取り組んで、新しい歌舞伎もあれば、時代物の素晴らしい古典作品もあると伝えたい。初役より2回目、3回目の方が難しい、という先輩の言葉を、肝に銘じながら勤めていきたいです」と、改めて抱負を述べました。
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歌舞伎座「四月大歌舞伎」は4月3日(土)から28日(水)までの公演。チケットは、チケットWeb松竹、チケットホン松竹で販売中です。