歌舞伎いろは

【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。



役者の肉体と精神で伝えたい「日本の心」

 松緑さんにはお嬢さんと、昨年初お目見得なさった長男の大河君という二人のお子さんがいらっしゃいます。

 こういう家に生まれ育ったことで、いろいろとむずかしいこともあります。たとえば娘や息子は、父親が半年も留守をするような暮らしを送らなくてはいけない。父親らしいことはなかなかしてやれないですね。でも、娘や息子が将来踊りをやっていきたいと言い出したときにきちんとスタートが切れるだけの準備はしておきたいと思っています。たとえば浴衣を着て、きっちりと正座をして他の方のお稽古を拝見することもそのひとつ。着物の着方だって覚えておかなくてはいけません。芝居や踊りの前にはとにかくご挨拶をしっかりできるような基本を大切にしたいと思います。


『音羽嶽だんまり(おとわがたけだんまり) 藤間大河 初お目見得』松緑さんの奴伊達平と長男大河さんの稚児音若 (平成21年10月 歌舞伎座)
撮影:松竹株式会社

 ご自分で教えられることも多いと思いますが、厳しいお父様なのでしょうか。

 僕は歌舞伎役者と踊りの家元という「なりわい」のため、どうしても厳しくなってしまいます。幼稚園のお遊戯会でも、息子がとちったりすると怒ってしまう(笑)。そういうところは反省しています。
 昨年10月、大河が歌舞伎座で初お目見得させていただいた時も、本人が一所懸命にやっているのはわかっていながらつい叱ってしまう。染五郎さん(市川染五郎さん)が長男の金太郎君の襲名披露の時に厳しくしているのを見て、「そんなに怒らなくてもいいのに」と思っていた僕が、いざ自分の息子のこととなると先輩方から「そんなに厳しくするなよ」となだめられたほどです。菊五郎のお兄さんなど「なあ、大河は一所懸命やったよなァ」と息子を慰めてくださって(笑)。

 早くにお父様、そしておじい様を亡くされた松緑さんは、先輩方にずいぶん育てていただいたとうかがっています。

 そのとおりです。僕は早くから歌舞伎役者に専念しましたから、長い間「最下級生」として先輩方に可愛がられ、「おじいさんやお父さんにしていただいたことをあらし(松緑さんの本名)に返すんだよ」とたくさんのお役を教えていただきました。でも自分が若手と思っているうちにどんどん歳下の人が増え、「お兄さん」と呼ばれるようになってしまいました。「青衣の女人」を演じられる時蔵兄さんには舞台で抱っこされたこともあったのに、今では恋人役もさせていただいています。そのうち、兄さんの息子さんと恋人や夫婦役を演じるようになるでしょう。若手と共演する時には、僕が先輩方から教えられたことを伝えていかなくてはならない。それが僕のご恩返しだと思っています。

 

中村橋之助

昭和50年2月5日生まれ。初代尾上辰之助(三代目松緑)の長男。55年1月国立劇場『親子連枝鶯(山姥)』の怪童丸で初お目見得。56年2月歌舞伎座『幡随長兵衛』の長松、「親子連枝鶯(山姥)」怪童丸で二代目尾上左近を名乗り初舞台。平成3年5月歌舞伎座『寿曽我対面』の五郎、「勧進帳」の義経で二代目尾上辰之助を襲名。平成14年5・6月歌舞伎座『勧進帳』の弁慶、『倭仮名在原系図(蘭平物狂)』の蘭平ほかで四代目尾上松緑を襲名。舞踊の藤間流六世家元藤間勘右衛門を兼ねる。

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