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吉右衛門が文化功労者に

吉右衛門が文化功労者に

 10月24日(火)、中村吉右衛門が文化功労者に選出されたことが、文部科学省から発表されました。

襲名したときから「少しは成長したかな」

 「私このたび、文化功労者という栄誉に浴させていただいておりますが、これもひとえに、初代中村吉右衛門、実父松本白鸚、私を指導してくださいました諸先輩、そして、ご後援くださる皆様のおかげと厚く御礼申し上げます」。爽やかな笑顔で、吉右衛門は感謝の言葉を述べました。

 

 文化功労者に選出されたとの一報に、「率直に申しまして驚きました。私は芝居しかできない役者でございます。主が古典しかできない役者。そんな者を功労者と認めていただけるのだろうかとびっくりいたしました」。昭和23(1948)年6月に初舞台を踏み、同41(1966)年に二代目中村吉右衛門を襲名、来年で歌舞伎俳優として70年を迎えます。「年数を重ねればいいというものでもないですが、それなりのノウハウは少しずつ自分の中にたまって、襲名したときよりは少しは成長したかなと」。

 

初代に追いつきたいという強い気持ち

 吉右衛門の養父、初代吉右衛門の功績を顕彰し、芸を継承するためにと始めた「秀山祭」は、今年で10回目を迎えました。「初代に追いつきたいという思いで毎年やっておりましたが、この頃は体がいうことをきく範囲でやっております」と言いつつも、「自分の性格なのか、初代のことを思い過ぎたのか、幕が開くと熱中してしまう。玄人の役者ではないなあと思います。幕が降りると息も絶え絶えという状態でございます」。

 

 可愛がってくれた初代からは「役者辞めちゃえ、と言われたことをよく覚えております」。数々の役を教わった実父の白鸚からは、「もう一回、もう一回と、声が枯れるまでせりふを言わされ、それでもできなかったことが記憶にあります」。初代と共演の多かった六世歌右衛門からは、「初代はよかったわねえ、とおっしゃるだけでどうしたらいいかわからなくて、悩んだこともございました」。教えを受けた先人からの厳しい言葉が糧となり、舞台に花開かせ、文化功労者という一つの実を結びました。初代は昭和27(1952)年、歌舞伎界で初めて文化功労者となった名優。今回の選出でまた一つ追いついたことになりました。

 

舞台を通して若い人たちへ渡す

 吉右衛門は、文化功労者としては、後継者の育成に努めなくてはいけないとも語りました。「実父、初代、先人に教えていただいたことを若い人たちにも教え、次に渡す。そのなかに多少、自分の考え、演出が入ることもございますが、なるべく言われたとおりに伝えたい」。

 

 特に思い入れの強い役として吉右衛門は、『平家女護島』俊寛、『一條大蔵譚』一條大蔵卿、『石切梶原』の梶原平三景時の3役を挙げました。「初代から、これからはこういうふうに歌舞伎を演出しなければならないと聞かされていた『俊寛』、初代の考えた演出が入った『大蔵卿』、初代が復活した『石切梶原』。大事にしたいですね」と、語る言葉にも熱が入ります。

 

 教えは、「受ける側が持っているものに大きく左右される」とも語った吉右衛門ですが、それは、自分が先人からの教えをその覚悟を持って真摯に受け止め続けたからこその言葉。文化功労者として後継者の育成には、計り知れない重みがありました。

吉右衛門が文化功労者に

 最近の息抜きはもっぱら読書だそうで、「絵の本や、芝居に関係あるものですから(平戸藩主松浦静山の随筆)『甲子夜話』みたいなものを、枕元に置いて読んだりします。ドライブに行けるくらいの体力になればいいなと思いますが」。そして、体力的に踏み切れるようになったら、「自分の考えていることを新しい芝居にしたいなあ」とも。

 

 若い人に教え、また舞台を通して芸をつないでいこうとしている吉右衛門。「歌舞伎役者という商売を自分の天職だと思い、舞台を勤めようと思っております」。静かに、力強い言葉で会見を締めくくりました。

2017年10月24日

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