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「六月大歌舞伎」で初代中村萬壽、六代目中村時蔵襲名披露、五代目中村梅枝、初代中村陽喜、初代中村夏幹初舞台

「六月大歌舞伎」で初代中村萬壽、六代目中村時蔵襲名披露、五代目中村梅枝、初代中村陽喜、初代中村夏幹初舞台

 後列左より、中村獅童、中村時蔵、中村梅枝、前列左より、小川夏幹、小川陽喜、小川大晴

 

 2024年6月の歌舞伎座「六月大歌舞伎」で襲名披露を行う中村時蔵、中村梅枝、初舞台を勤める梅枝の長男・小川大晴(ひろはる)、中村獅童、初舞台を勤める獅童の長男・小川陽喜(はるき)、次男・小川夏幹(なつき)が、公演に向けて思いを語りました。

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「六月大歌舞伎」で初代中村萬壽、六代目中村時蔵襲名披露、五代目中村梅枝、初代中村陽喜、初代中村夏幹初舞台

 

一門の新たな一歩 

 今年の歌舞伎座「六月大歌舞伎」では、時蔵が初代中村萬壽(まんじゅ)、梅枝が六代目時蔵をそれぞれ襲名します。また、小川大晴が五代目梅枝として、獅童の長男・小川陽喜が初代中村陽喜、次男・小川夏幹が初代中村夏幹として初舞台を踏むことになりました。昼の部の『妹背山婦女庭訓』「三笠山御殿」杉酒屋娘お三輪を新時蔵が、夜の部『山姥』山姥を萬壽が、怪童丸を新梅枝が勤め、『魚屋宗五郎』の魚屋宗五郎を獅童が初役で、酒屋丁稚を陽喜、夏幹が勤めます。

 

 まずは時蔵が、「私は昭和56(1981)年から時蔵を名のって43年になります。その名前を梅枝に譲り、中村萬壽という名前になります。大晴が梅枝となり、合わせて陽喜、夏幹も一緒に初舞台ということで、大変賑やかな舞台になるのではないかと思っています。歌舞伎界のためにも、私たちが一所懸命頑張って盛り上げていきたい」と、挨拶します。

 

「六月大歌舞伎」で初代中村萬壽、六代目中村時蔵襲名披露、五代目中村梅枝、初代中村陽喜、初代中村夏幹初舞台

 

 今回の襲名の経緯について、「コロナ禍の前から、孫の初舞台のことを考えておりました。ここで梅枝に時蔵の名を譲れば、私や私の父(四世時蔵)、梅枝と同じように、孫の大晴も初舞台を梅枝の名前で迎えられると思いました」と、語る時蔵。屋号である萬屋の「萬」の字が入り、平安時代の元号である「萬壽」の名を自ら考えたと言い、「時蔵家は十干十二支に思い入れがあり、また萬壽元年は(干支の一番目である)甲子に当たります。萬壽の名を一から築いていこう、また一から自分の芸を見つめ直そうと思ってこの名にしました」と、由来を明かします。

 

時蔵の名に恥じぬように

 息子の梅枝に時蔵の名を譲ることについて、「私が演じたことのない阿古屋なども玉三郎のお兄さんのご指導のもと見事に演じましたし、ほかの役でも大きな成果を上げていますから、そろそろいいのではないかと。私もまだまだ初役もこなして、梅枝はじめ後進の指導もしっかりつとめていきたいと思っていますが、私の目の黒いうちに継がせることで、さらに大きな飛躍をしてもらいたい。お前が継いでくれて、時蔵という名前が代々繋がっていくのを親としては見たいものだから、そうしてくれよ、と話をしました」と、親として、芸の師匠として思いを込めます。

 

「六月大歌舞伎」で初代中村萬壽、六代目中村時蔵襲名披露、五代目中村梅枝、初代中村陽喜、初代中村夏幹初舞台

 

 そんな父の思いを受けた梅枝は、「祖父が早くに亡くなっておりますので、 時蔵という名前は、私にとっては父しかおりませんし、そもそも私が時蔵を襲名するとしても父が亡くなってからだと思っていましたので、父が時蔵ではない名前になることがすごく嫌でした。それに、まだ私には早いと思い、最初はお断りしました」と、初めて襲名の話を聞いたときの率直な感想を振り返ります。

 

 その後、時蔵や獅童、また周囲と相談するうちに、「父親が生きている間に名前を譲る決断をしてくれることは特別なことで、それに感謝しなければいけないとおっしゃってくださった方もいらっしゃり、だんだんと自分のなかで気持ちが高まってきて、決心しました」と、思いを改めた様子。「いざこの段になってみると、こうして三代そろって襲名ができることはとてもありがたいですし、父の思いをきちんと継いで、時蔵の名跡に恥ずかしくないように、一所懸命これからも勤めていければ」と、気合は十分です。

 

「六月大歌舞伎」で初代中村萬壽、六代目中村時蔵襲名披露、五代目中村梅枝、初代中村陽喜、初代中村夏幹初舞台

 

萬屋の芸を磨く

 時蔵家にとって、四代目から三代続けての襲名演目となる『妹背山婦女庭訓』「三笠山御殿」。「成駒屋のおじ様(六世中村歌右衛門)に襲名のときに教えていただいた、思い入れのある役です」と時蔵が語ると、梅枝も、「最近は独吟を入れてなさる方はあまりいらっしゃいませんが、父の独吟を入れるやり方を教われるのは、とてもうれしいです」と応えます。「『山姥』は、昔梅枝と踊りの会で踊ったことがあります。大晴はかわいらしくやってくれるんじゃないかな」と、時蔵が孫への愛情をのぞかせました。

 

 獅童は、「子役のときから出演していた6月の萬屋興行をまたいつか復活させたいという気持ちがずっと僕のなかにあり、時蔵のお兄さんにやりませんかとお話しました」と、6月興行と萬屋のゆかりを語ります。陽喜と夏幹の名前については、「僕は時蔵兄さんと違い、生きているうちは獅童の名を譲りたくないので、いろいろと考えた末、最終的に本名でやらせていただくことが一番良いのではということになりました」と、笑顔を見せました。

 

「六月大歌舞伎」で初代中村萬壽、六代目中村時蔵襲名披露、五代目中村梅枝、初代中村陽喜、初代中村夏幹初舞台

 

 初役で勤める魚屋宗五郎は、菊五郎に教えを請います。「昨年10月に寺島しのぶさんと『文七元結物語』をやらせていただき、千穐楽の日に、一緒に菊五郎のお兄さんにご挨拶へ行きました。そこで俺が教えるからやったらいいとおっしゃってくださり、まさかそのようなことを言われるとは思ってもいなかったので、非常にありがたいことですし、教えを一所懸命吸収したいと思います」と、気を引き締めました。

  
「六月大歌舞伎」で初代中村萬壽、六代目中村時蔵襲名披露、五代目中村梅枝、初代中村陽喜、初代中村夏幹初舞台

 

萬屋の未来を担う、三人の歌舞伎俳優

 立廻りが好きという大晴は、「小川大晴です。6月に五代目中村梅枝を襲名することになりました。よろしくお願いします」と、しっかりと挨拶。梅枝も、「元気よく、一所懸命に、がモットー。子どもにしかないパワーを十分に発揮してくれると思います」と、太鼓判を押します。「大晴は女方が嫌いなんです。どこかで女方も面白いぞと導いてやりたいと思っていますが、でも、本人が好きなようにやらせてやりたいです」と微笑みながら、「女方もたまにやろうね」と、時蔵が大晴に語りかけるひと幕も見られました。

 

 「舞台に出ること、歌舞伎が大好きなので、とにかく毎日元気よく勤めると思います。そんな姿を観てくだされば」と、獅童が語る通り、陽喜と夏幹は、初舞台について元気よく「楽しみです」「うれしいです」と口をそろえます。賑やかな子どもたちの姿に、「ご覧の通りに子どもたちは親の言うことは聞きません。でもこれが舞台に立つと不思議とちゃんとするんですね。教わったことをきちんとやってくれると思いますので、安心しています」と、時蔵。萬屋一門の新たな門出に、今から期待が高まります。

 

「六月大歌舞伎」で初代中村萬壽、六代目中村時蔵襲名披露、五代目中村梅枝、初代中村陽喜、初代中村夏幹初舞台

 左より、山根成之松竹株式会社取締役副社長、中村獅童、小川大晴、中村梅枝、中村時蔵、迫本淳一松竹株式会社代表取締役会長

2024/01/30