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猿之助「明治座 十一月花形歌舞伎」で宙乗り600回
11月9日(日)、「明治座 十一月花形歌舞伎」夜の部で、市川猿之助が宙乗り600回を達成、宙乗りについての思いを語りました。
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「市川猿之助奮闘連続公演」と銘打たれた10月、11月の連続公演もいよいよ残り17日、夜の部『四天王楓江戸粧(してんのうもみじのえどぐま)』で、猿之助は宙乗り600回を達成しました。10月は昼夜で1回ずつ宙乗りを見せた猿之助ですが、11月は夜の部の1演目の中で2回の宙乗り、この日は区切りの600回、601回を数えました。
伯父の記録を一つでも…
初めて猿之助が花道の上の宙乗りしたのは昭和60(1985)年10月歌舞伎座『雙生隅田川』で、猿翁(当時 三代目猿之助)と菊五郎にはさまれて3人で花道の上を飛び、途中でお客様をひやっとさせるところも見せて拍手喝采。「夢として、一人でしたかった」と、振り返りました。
それから、四代目猿之助襲名披露で、『四の切』『ヤマトタケル』の宙乗りで回数を重ねての600回。「でも、伯父(猿翁)は5000回以上飛んで、ギネスブックにも載っていますからね。伯父の記録を一つくらいは抜きたい。これくらいしか抜けないと思うので、そこを目指したい」と、これからも意欲的に宙乗りに挑む姿勢を見せました。
澤瀉屋の宙乗り
猿翁からは「宙吊りになってはいけない。あくまでも宙を歩くように」と言われ、長袴の裁き方も教わったそうで、600回目の宙乗りも、辰夜叉御前が見事に長を引きながら宙に消えていきました。また、装置のワイヤーを隠すのもいけないと言われていると語り、「あくまでも江戸の精神で」宙乗りを見せることが、澤瀉屋に受け継がれています。
600回目の宙乗りは「皆様に感謝の気持ちを込めて蜘蛛の糸をまく」と話した猿之助。敵を倒して蜘蛛から辰夜叉御前に戻り、満足の笑顔で糸を放ちました。601回目の宙乗りは、『四の切』と同じく狐姿。小女郎狐が初音の鼓ならぬ宝剣小狐丸を持って、喜びいさんで宙を駆けて棲家へ帰ります。
「今月は1つの演目で2回飛ぶので、つかないように(同じにならないように)、2度目は早めに帰るようにしています」。もっと見たいと、思っていただけるところでストップ。「宙乗りは秒数が大切です。短すぎても、長すぎてお客様が冷めてしまってもいけません」。稽古で計算し尽くされた宙乗り、「幸いなことに事故もなく、スタッフの力のおかげ」と、600回突破の喜びとともに感謝の念を忘れませんでした。
一座そろって2カ月目の大奮闘
開幕直前の取材会見に舞台衣裳で現れた猿之助は、10数分後には「四代目…鶴屋南北でございます」とスッポンから登場。舞台に上がって「四代目…市川猿之助でございます」と口上ご挨拶。これからの上演について「荒唐無稽、鷹揚なご見物を」と呼びかけた後は、引抜き、早替り、大立廻り、蜘蛛と狐も大活躍、さらには、童子姿の團子が1人で6人の四天を相手に立廻りを見せ、飛び六法で花道を引込むなど、出演者が一丸となってサービス精神にあふれる楽しい芝居を見せました。
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「明治座 十一月花形歌舞伎」は25日(火)までの公演。チケットは、明治座ほか、チケットWeb松竹、チケットホン松竹にて販売中です。
※澤瀉屋の「瀉」のつくりは正しくは“わかんむり”です。