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中村勘三郎さんご逝去
歌舞伎俳優の十八代目中村勘三郎<なかむら・かんざぶろう、本名:波野哲明=なみの・のりあき>さんが、12月5日午前2時33分、東京都内の病院でご逝去されました。享年57歳。謹んでご冥福をお祈りいたします。
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昭和30(1955)年5月30日十七世中村勘三郎の長男として東京に生まれる。父方の祖父は三世中村歌六、母方の祖父は六世尾上菊五郎。
昭和34(1959)年4月歌舞伎座『昔噺桃太郎』桃太郎で五代目中村勘九郎の名で初舞台。子役時代よりミュージカルや映画でも活躍。同54(1979)年1月初めてアメリカ公演に父と参加。同55(1980)年第一回「浅草歌舞伎」で『供奴』奴波平ほかを演じる。平成元年(1989)11月歌舞伎座で自身の会「勘九郎の会」を開く。同2(1990)年8月歌舞伎座「八月納涼歌舞伎」で夏芝居を復活。同6(1994)年5月渋谷・コクーン歌舞伎で『東海道四谷怪談』を上演、以降、同22(2010)年6月『佐倉義民傳』まで11回、出演を続けた。同12(2000)年11月浅草に「平成中村座」を建てて『隅田川続俤(すみだがわごにちのおもかげ)』を上演、以降、平成中村座公演として大阪、名古屋、浅草、松本のほか、同16・19(2004・2007)年7月ニューヨーク、同20(2008)年5月ドイツ、ルーマニアでも公演を行い、今年5月のロングラン公演最終公演まで出演を続けた。同13(2001)年8月歌舞伎座『野田版 研辰の討たれ』初演、以降、新作発表が続く。
平成17(2005)年3月歌舞伎座『一條大蔵譚(いちじょうおおくらものがたり)』一條大蔵長成、『鰯賣戀曳網(いわしうりこいのひきあみ)』鰯賣猿源氏ほかで十八代目中村勘三郎を襲名。古典歌舞伎だけでなく、渋谷・コクーン歌舞伎、平成中村座公演、新作上演なども続け、現代演劇や映画にも出演した。
最後の舞台は平成24(2012)年5月平成中村座『神明恵和合取組(かみのめぐみわごうのとりくみ)』め組辰五郎、『志賀山三番叟』上演口上、『梅雨小袖昔八丈』髪結新三。同年7月まつもと市民芸術館『天日坊』千穐楽にのみ源頼朝役で出演、舞台に立った最後となった。
平成元年度(1989)芸術祭賞、都民文化栄誉章、7(1995)年第2回読売演劇大賞最優秀男優賞、10(1998)年度日本芸術院賞、13(2001)年第1回朝日舞台芸術賞グランプリ、13(2001)年度第39回ゴールデンアロー賞大賞、14(2002)年第23回松尾芸能賞大賞、16(2004)年第52回菊池寛賞、20(2008)年紫綬褒章ほか受賞、受章多数。