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左團次が「歌舞伎夜話」で語った歌舞伎のこと、自分のこと

左團次が「歌舞伎夜話」で語った歌舞伎のこと、自分のこと

 

 1月14日(木)、歌舞伎座ギャラリーで行われた「ギャラリーレクチャー 歌舞伎夜話」に、 第5回ゲストとして市川左團次が登場しました。

 第5回を迎えた「歌舞伎夜話」に登場したのは、市川左團次。初舞台が昭和22(1947)年5月東京劇場『寺子屋』の菅秀才。「幕切れで六代目菊五郎の松王丸が菅秀才に向かってお辞儀をする。おじさんがお辞儀をしてくれるので僕もお辞儀をした。すると楽屋で、坊や、お前のほうが身分が上なんだから、俺に頭なんか下げなくていいんだよ、と言われました」。武部源蔵は初世吉右衛門。冒頭からスケールの大きな話が飛び出します。

 

左團次が「歌舞伎夜話」で語った歌舞伎のこと、自分のこと

 「(役柄は)その人に合っているかどうかでしょう。体つき、声柄から僕に合っているのが敵役。敵役はしっかり憎らしく思われるようにならないと、たとえば、俊寛の弱々しさや哀れさが出てきません。させていただく以上はそうしています」。数々の敵役について語る一方、若い頃に手がけた『忠臣蔵』の定九郎や『妹背山婦女庭訓』の求女などの役柄は「恥ずかしかった」との本音も出ました。

 

 当り役の一つともいえる『助六』の意休。「(十三世)仁左衛門のおじさん、(八世)三津五郎のおじさんの意休。皆さん背筋がピーンとしていらした。負けてたまるかと」、すっと舞台上のように姿勢を正して大きく見せたり、「でも、龍の縫いの衣裳が重くて、…助六の出端がたっぷりとあるので」と、ぼそり、何度も会場を沸かせました。

 

 また、歌舞伎以外の舞台や映像については、「歌舞伎ではない話し方ができてこそ役者、それでこそ歌舞伎役者だと思える。なかなかできないことです」と語り、自らに向ける目の厳しさもうかがわせました。

 

 しかし、歌舞伎の話とはうらはらに、プライベートの時間や家族の話ではひょうひょうと、楽しい話を惜しげもなく披露。楽屋であまり、部屋着を着ていない等々、淡々と語るなかにさまざまな表情が出てくるので、お客様は目が離せなかったことでしょう。最後はお客様との記念写真と、笑顔でのお見送りで幕となりました。

 

左團次が「歌舞伎夜話」で語った歌舞伎のこと、自分のこと

2016/01/16