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【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。
珍しいタツノオトシゴ柄の名古屋帯
(上)下絵を描く作業 (下)下絵を描き終えた生地をアトリエの柱と柱の間に張って、糊をひく、色を挿すなどの作業をしていく
染色の大きな魅力であり、悩みどころである“色”。中野さんはこの工房で出会ったベテランの先輩から、色作りの感覚を学んだという。
「色はいくつもの色を混ぜ合わせることで深みが出ます。でもいきすぎると汚くなってしまう。私に色作りを教えてくれた先輩は、そのさじ加減が本当に絶妙でした。さまざまな色が入った、深みのある渋いトーン。あれだけ色を入れていても、絶対に汚いにごりになっていない…あの妙技を身近で見られただけで、すごい財産になりました。
私が作る色の感覚も、彼女の影響はすごくあると思います。ちょっと沈んだトーンが好き。例えばピンクはピンクでも、少し重たい感じ。それはピンクの中に、見えないけれど反対色やいろいろな色が入っているので深みが出る。そうすると着物や帯に取り合わせたときに、あまり違和感なくさまざまな色になじむ。色の世界は奥が深いです」
著名な作家の工房だけに、高級な生地を扱い、作家の作る芸術作品のような着物を数多く見られたことも、大きな勉強になった。
「着物として美しい、着たときに映える柄のおき方、バランスなどを学べたのは、ここでたくさんの着物を見たからだと思います。自分が着物を着るようになると、また一段と作品作りが楽しくなる。自分ならこういう色あわせで着たい、という気持ちが出てくるからかな」
誰かのアシスタントとしてではなく、自分の作りたい、描きたいものを制作するために、アトリエを開いたのは31歳のとき。
「最初のアトリエは、自宅近くの倉庫の一角。ここの話が私に回ってきたとき、ちょうど父が仕事を続けられなくなり、使っていた道具がそのまま染色の仕事に活かせたので、やれそう、やってみようと始まったのです。独立したいときと、環境が整った時期が重なった。ラッキーだったと思います」
友禅との出会いも、独立も、“たまたま”できたと、謙遜する中野さん。だが自然な流れが、彼女を友禅作家への道に導いたともいえる。
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